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PCのエラーから受け取るサイン

パソコンを買い替えて3ヶ月になる。

その前に使っていたパソコンが故障したわけではなく、購入から5年が経過していて「そろそろかなぁ」とぼんやり思っていたところに、voicyリスナーさんからのリクエストによって、過去のブログの電子書籍化というプロジェクトに取り組む決心をした。そこへ、結婚15周年記念という言い訳を少々強引に結びつけての買い替えだった。

5年使ったiMacは、致命的な故障には見舞われなかったものの、昨年あたりから、執筆中に不思議なシャットダウンが起こることが時折あった。

原稿は、Macのテキストエディットで書くことが多い。
とてもシンプルなソフトで、文章をただ書き連ねていく以外の操作は行わないから、システムが突然ダウンするような負荷をかけているとは考えにくい。なのに、ずんずん書き進めている最中に突然、作成画面がヒュン!と消えて、その後「予期しない理由で終了しました」と表示が出る。
もう一度テキストエディットを立ち上げると、途中までは保存されているものの、シャットダウン直前までの文章は残っていない。

最初の何度かは、やはりショックだった。
今年50歳になるわたしは、出版社に勤めていた20代半ば、はじめてパソコンを触った。
もともとデジタルに苦手意識があり、仕事上、しかたなく使い始めたので、自分よりパソコンに詳しい同僚や仕事仲間のデザイナーさんに教えてもらいながら、基本操作だけおぼえて原稿を作成していた。それでもしょっちゅうパソコンがフリーズして、何時間もかけて書いた原稿が忽然と消えた、という悲劇を何度も経験している。
その教訓として、「とにかくこまめに上書き保存」を心がけてきたし、フリーランスになり、外付HDだってちゃんと取り付けている。だから20数年前のように長い原稿がまるまるなくなってしまう、といった惨劇は、最近はもう起こらない。

それでも、つい先日まで愛用していた旧iMacで時折起こった不思議なシャットダウンは、それなりに大きなインパクトをわたしに与えた。

テキストエディットの何らかの不具合なのだろうと思っていたところに、なんとnoteでも、ほとんど書き上げていた下書きが消えてしまった(または消してしまったのかもしれない)ことが一度だけあった。

noteを続けてきた3年を振り返ってみても、不具合らしきものを経験したことはほとんどない。だから、そのときである、執筆中に起こる謎のシャットダウンは、宇宙から自分へのサインじゃないか、と思ったのは。
昨年から月星座占星術家のKeiko先生のリチュアルを月2回聴いているわたしにとって、いま宇宙は、目には見えなくても身近な存在なのだ。

テキストエディットがシャットダウンするときと、noteの下書きが消えたときの共通点として、どちらも、いつもとは違うテンションで書いていた。
いってみれば、モヤモヤとした負の感情に引っ張られながら書いていたかもしれない。でもその状態には自覚的で、こういう文章を書くことにも挑戦していきたいし、なかには刺さっておもしろいと読んでくれる人もいるんじゃないか、という意気込みで書いていたように思う。

でも、たぶんそれはまだ世に送り出していい域には達していないのだ。
そのことを、突然のシャットダウンが知らせてくれている。
こうしたことが何度か起こるうちに、わたしはエラーを、注意喚起としてむしろありがたく受け取るようになった。

こんな経験、わたしだけだろうか。
それとも、みんなわざわざ言わないだけで、似たような目に遭っているのだろうか。

自分がやりたいようにやってきて、求められることもわかってきて、それに応える喜びも感じていて、そのうえでもっと先へ、もっと高みへと進みたいとき、自分を成長させてくれるものは何なのだろう。

悩んだところで答えは簡単に差し出されるわけがないのだけれど、少なくとも、「自分にとって違うこと」を安易にやろうとするものじゃない、ということを、予告もなく落ちるパソコンがおしえてくれている。

はたして、買い替えによって今わたしの目の前に置かれている新しいパソコンは、前のパソコンみたいに、道を間違えそうになったときに、違うよ、そっちじゃないよ、とおしえてくれるのだろうか。

その見張りをちゃんとしてもらえるように、早くこの新しいiMacと仲良くなりたいと思っている。

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