家で白が着たい理由
もともと在宅ワーカー、おまけに家で過ごすことが大好きな性分なため、コロナに娘の受験までが重なった今年の外出自粛生活は、普段の在宅度がさらに増した、くらいの感覚。
だけれども、これからの季節はさすがにちょっと憂鬱である。なぜなら、わが家は古い木造和風家屋という性質上、とにかく寒いのだ。この家に暮らすようになって、履きつぶしては同じものを買い替えながら現在3代目となるL.L.Beanのムートンブーツは、今月に入って早々に登板しているし、すでにレッグウォーマーも毎日着用している。
わたしは冷え性のわりに、冷えとりにはそう熱心ではない(5本指ソックスも最近は履いていないし、夏は素足で過ごしてしまう)せいか、秋になって急に気温が下がって寒くなるころ、体の冷えから発熱してしまうことが毎年恒例になっている。先日もまさにそんな発熱にみまわれ、「まさか!」と焦ったものの、普段35度台の体温が36度台後半に上がった程度、しかも1日で下がったので、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。いやはや、うかつに風邪もひけない、なんとも世知辛い昨今である。
さて、そうやって基本的には毎日家にいて、外出は娘の送迎や駅前程度、会う相手は塾関係者や保護者がほとんどという生活だと、日々何を着て生活するのが今の自分にとっての正解なのか、けっこう難しい。
朝は基本的にヨガをするため、まずヨガウェアを着る。ではヨガが終わった後、何に着替えるか。
暑い夏は選択肢が狭いぶん迷いもなくて、ワンピースを一枚ストンと着るか、あるいは、上はカットソー、下はゆったりめのパンツを履いておけば、家でのリラックス度とワンマイル程度の外出着に見合った「最低限のちゃんとしてる感」をクリアできる。そして帽子をかぶり、靴をレザーにすれば、駅ビルくらいなら行ける(と思っている)。
問題は冬だ。服選びの基準その1にまず「防寒」があり、そのうえで、自分のリラックス度と、他人から見たちゃんとしてる感の両方をクリアする服装とは、というお題と毎日向き合わなくてはいけない。
そうした点から、現在の軸にしているのが「普段着として白を着る」というスタイルである。イメージというか、お手本いや理想というべきか、頭のなかで思い描いているのは、映画『恋愛適齢期』のダイアン・キートンのファッション。劇作家という設定で、ため息もののとびっきり素敵なビーチハウスで新作を執筆している彼女の普段着が、もう憧れそのもの。タートルネックやVネックのプレーンなニットにコットンのパンツ、すべて装飾を一切排した無地。なのに、なぜか女性としてのキャラクターがとっても際立って見える、究極のおしゃれという感じなのだ。
というわけで、気分はダイアン・キートン風に、ベージュやアイボリーのニットに白いパンツ、というのが、わたしのひそかな冬のユニフォームとなっている。
とくに白のパンツは、コットンのワークパンツや、ボーイフィットのデニム、さらに今年は太めのコーデュロイも買い足した。コットン素材は気軽に洗濯ができるし(コロナ以降はこの条件が何より重要になった)、シルエットが太めだと中にスパッツを重ねられるので寒さ対策をしやすいのである。とはいえあったか生地であるほどうれしいから、フランネルの生地で白くて太いパンツがないかなぁと探し中。わたしは遠目には同じ服に見えて、近寄ると素材が微妙に違うという服をつい買い揃えてしまうクセがある。
以前、雑誌で取材をしていただいたときに、白いボトムへの愛着を語らせてもらったところ、編集の方が「でも白って太って見えるのが……」と気にされていた。
たしかに、わたしも30代までは白いパンツってまったく履かなかった。そのときに比べて痩せたわけでもないのに白を履くようになったのは、大人になるほど、細く見えることより、重たく見えないことのほうが大事なんじゃないか、と感じるようになったからだ。ただでさえ薄暗くて古い、見た目に重ための家に暮らしている今の生活においては、冬は意識的に白を着て、軽く明るく気分を盛り上げていきたいと思うようになった。
そうはいっても現実には、わたしが家のなかで白っぽくてあったかい服でウロウロしていると、夫や娘からは白熊扱いされる始末。わたしの理想であるダイアン・キートンと、彼らの目に映るリアルなわたしの姿は、まったく重なっていない。でもいいじゃないの、白熊で。今年も白くぬくぬく、長く寒い季節を過ごしていきますよ。
*『恋愛適齢期』、ファッションとインテリアだけでなく、ストーリーも気楽に見られる大人のラブコメとして大好きな映画です。秋に観るのにぴったりな一本で、おすすめです!