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80歳の料理日記

母、姉、兄夫婦とわたしの5人でつくっているLINEグループが、近ごろアツい。

毎日何本もの写真やコメント、スタンプが飛び交い、平均年齢57歳のグループLINEとは思えない盛り上がりぶりである(メンバーの年齢の内訳は、79歳、54歳、52歳、51歳、49歳)。
中学生のわが娘にはまだスマホを持たせていないため、このLINEは娘への伝言板の役割も兼ねていて、わたしより先に娘が内容をチェックしている日もある。親の言うことはすべて右から左へ流すが、敬愛する祖母や叔母から「テストの結果はどうだった?」「ここがふんばりどきだから、今はサボらないでがんばるように」などと釘さしコメントが絶妙なタイミングで送られてくるため、思春期の子に手を焼く親としては、とても助かっている。

シェフは元企業戦士


そもそもこのグループLINEの活性化のきっかけは、今年80歳になる父がつくった料理を、母が写真で報告してくれるようになったからだ。

父は、高倉健をお手本に生きてきた九州男児。高度経済成長期からバブル期以降までを猛烈サラリーマンとして駆け抜け、退職するまでは台所に立つ姿なんて見たこともなかった。長年の接待外食で舌が肥えているため味にはうるさいのだが、母と二人で暮らす老後生活が始まっても、基本的に日々のごはんづくりは母が担っていた。

ところが先月、いつも元気印の母がリウマチ系の疾患でベッドから立ち上がるのも体じゅうが痛いという状態になってしまい、ならばと父が代わりに台所に立ち始めた。
これまでも、母が出かけて父が留守番という日や、母が風邪で寝込んだときなどに、父が自分で食べたいものをつくる、ということはちょいちょいあったのだが、今回の母の症状は一日や二日で回復するものではなかったため、父も意を決して厨房を引き受けたようだった。

最初の数日は、父がつくってくれた夕食のメニューを母が文字だけで報告してくれていたのだが、「読んでるといかにもおいしそうだから、写真を撮ってこのLINEにアップして」と頼んだら、翌日から食べる前に撮影して送ってくれるようになった。
すると、マメで気の利く姉がすぐに「シェフ哲朗(父の名)の料理」というアルバムをLINE上につくり、そこに写真をファイルしていくと、毎日のことなのでみるみるたまっていき、今ではなかなか見応えのある料理アルバムになっている。
高齢者夫婦の夕食時間は早く、毎日5時台には写真が送られてくるため、われわれ子世代の家庭もそこから夕食のヒントをもらったり、実家から徒歩圏内に住む姉は「そのおかず、多めにあったりする?」と素早く確認して、犬の散歩ついでにちゃっかりおすそわけしてもらったりしている。

また、写真がアップされるたびに、料理はもとより、うつわや盛りつけを見るのがまた楽しい。たとえば下の写真の葡萄柄のディナープレートなんて、この昭和感が懐かしすぎて泣き笑いしちゃうほどだ。
まだ小学生のころ、揚げ物が得意だったおばあちゃんが、これに天ぷらやササミフライ、必ずキャベツの千切りとトマトときゅうりを添えて出してくれたなぁ、なんて、40年前の夕食の記憶が鮮やかに蘇る。
それを母に言うと、「このお皿、結婚したときにおばあちゃんが買ってくれたものだから、もう55年使ってるわ」とさらりと言うではないか。
55年間も使い続ける皿が写り込む実家のごはん写真は、「映え」とはまったく別の吸引力で、わたしを魅了するのだ。

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幸い母の症状は順調に回復し、そうなると、これまでだったら「俺の役目は終わり」とばかりに、またソファでテレビを見ながらごはんができるのを待つ父に戻っていたはずが、このLINEの料理日記と、子どもたち(といっても全員アラフィフだが)による「おいしそう!」とか「豪華だね!」などのコメントでモチベーションが保たれるようで、父のシェフ料理は続行中である。

父自身はLINEグループには入っておらず、母から報告を受けるだけだが、母のスマホで写真を確認して盛りつけを工夫するようになったり、最近ではうっかり撮影を忘れて食べ始めようとした母に「写真!」と促したりと、寡黙で照れ屋なりに、この新しい活動を楽しんでいるようだ。

応援の力は、送るより受け取る側にとって大きい


そういえば、30代後半まで雑誌ライターの仕事でしか「書くこと」をしていなかったわたしが、自分の名前で著作を出せるようになったのも、もとを辿れば、ブログに読者からの反応がもらえるのが励みとなったのがきっかけといえる。
写真と文章で日記を公開し、それを読んだ方から共感や応援のメッセージを受け取る喜びが原動力となって、気づけば10年以上も書き続けてこられたのだ。

また、わたしはスポーツとはほとんど無縁に生きてきた人間けれど、最近オリンピックを観ていて、「応援って本当に重要なんだなぁ」と思ったことがあった。

金メダル確実との呼び声が高かった競泳の瀬戸大也選手の、まさかの予選落ちという結果についてテレビで解説していた元水泳選手の方が、「観客が入っていれば、このレース運びでは予選通過が危ないということを客席からの悲鳴などで感知できたかもしれない。でも無観客では、思っていた以上に周囲のタイムが早いことに気づけなかったことも影響していると思う」という分析に、びっくりしたのだ。

もちろん、瀬戸選手が競技後に話していたように「読みが外れた」といえばそれまでなのだが、オリンピックという最高峰のアスリートが集う大舞台で、競技中に周囲の声が選手に大切なことを知らせ、それが結果に影響を及ぼすなんて。
無観客のしんとした会場で戦うより、応援の声に囲まれながら戦う方がモチベーションが上がる、ということくらいは想像がつくけれど、勝敗を分けるほどとは、やっぱり周囲の応援というものの力はすごいのだ。

SNSというツールの便利さを悪用して、誹謗中傷のコメントを送りつけるなんて行為は卑劣極まりないけれど、誰かを応援したり祝福したり、ポジティブな反応を送ることは、送っている人の気持ち以上に、送られている人の力になっていることはたしかだと思う。
せっかくSNSのある時代に生きているわたしたちは、せっかくなら「よい反応」をどんどん送り合って、お互いのやる気アップにつなげていきたい。

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