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社会に中指を立てた18歳のちゃんみなが、24歳の私を救ってくれた。

明けましておめでとうございます、
なんて言えないくらい時間が経ってしまった。


本当は2023年のバケットリストについて途中まで書いていて、でもやっぱり気持ち悪くなってやめた。

年末からずっと気分が落ち続けているのに、何一つ消化できていないのに、心と裏腹のことは書きたくないって。

それならいっそ、憧れの彼女みたいに、全部を一つの作品にしちゃえばいいんじゃないかって急に吹っ切れたから、私のモチベーターとの(一方的な)思い出について書いてみる。





1998年生まれ、24歳。


私と同い年で、でもそれなりに優等生だった私とは真逆の人生を送ってきたであろう彼女に救われた最初の機会は、大学3回生の後期、22歳。

音信不通という最悪の終わり方をして、連絡は最後まで返さなかったわりに私のインスタは常にチェックしていた元恋人を見返したくて仕方なかった。

泣き虫のお姫様なんてもう流行らないの生憎様
可愛いだけじゃやってけない世界あんたにはちょっと向いてないみたい
自分のスキルが知りたいなら
まずは鏡に聞いてみれば?
Princess (NEW MIX)


編入したばかりで時間割はぎっしり、卒論研究では初めて目にする英語やアラビア語の研究書が山積み。

見よう見まねで民間就活をやってみたり、今思い返しても毎日しんどかった。でも弱音をSNSに吐いて元恋人に見られるくらいなら死んだ方がマシ、そう思いながら毎日毎日ずっと聴いてた『Princess』。今でも不意に懐かしくなる。




次の機会は大学4回生の夏、23歳。就活も卒論も上手くいかなくて、一睡もできなくなったところで休学届を出した。

私もあなた様みたいになりたい
教えて教えて幸せですよね?
もしこのまま消えたら愛されるのなら
今すぐにでも綺麗に亡くなりたい
美人


ちゃんと進路を掴み取った周りの人たちが羨ましくて仕方なかった。

それなりに「可愛い」「美人やな」って褒められる顔に生まれて、「賢いね」「頑張ったんやな」って褒められる大学に入って、でも何の結果も出せない私の価値ってなんだ?

まさか自分に無能の烙印を押すことになるとは考えもしなかった。散歩中に「飛び出してきた車に轢かれたら一瞬で死ぬんかな」とか想像するくらいには精神を病んでた。周りの目が、真っ暗に感じた自分の将来が怖くて仕方なかった。




直近でエンドレスリピートしたのは、ちょうど1年前のDREAM真っ最中の冬、23歳。Web投票前に、初めて過呼吸になった。気が触れたのかと思った。

息苦しい
どこにいてもみんな気にする
黙って聞いてたけどもうウンザリしてる
I'm a Pop


今考え直しても、Web投票というシステムの道徳性を私は疑う。

「思ってたのと違った」「理解できひん」、当時近しかった人たちからかけられた言葉。一緒に過ごした年月そのものに意味はないってあのとき理解した。
かかってきた電話。対面で放たれた言葉。リスクを負わない外野は、言いたい放題だった。

それでも言い返せずに「そうやんな」「意見をくれてありがとう」って笑った私は、あの日世界で一番白々しい人間だった気がする。




1年ごとに試練みたいな出来事は巡ってきて、そのときもそのとき以外も、思い返せばいつも彼女の楽曲がそばにあった。


『君からの贈り物』は元恋人たちに聴かせてあげたくて、『花火』で自分の容姿がゆるやかに変化していく、そう遠くない未来に思いを馳せた。

不定期に飛んでくる嫌味を忘れるために『TO HATERS』を流して、今の恋人に告白する数日前は『BEST BOY FRIEND』がプレイリストの先頭にあった気がする。



彼女は、繊細さと強さを共存させられる。

だから毎度ちゃんと傷ついて、その痛みを記憶して、歌にして社会に還元できるんだと思う。
そしてその一曲一曲に救われたのは私と、私に彼女の楽曲を教えてくれた親友を含む、武道館を埋め尽くす以上の人たち。




知らない人からnoteの感想を頂くことが増えた。

知らない人から「中口さんですよね」「会場で投票しました」って声をかけてもらうことが増えた。


インスタのフォロー欄には、私のことを知ってくれていて、かつ私は顔どころか苗字すらわからない人がたくさん並んでいる。

会社の同期には「プレゼンコンテストに出てた女の子がおるらしいんやけど、知ってる?」って2回聞かれた。



たった1年で環境が大きく変わって、隠れ人見知りの私にはその居心地の悪さにどうしようもなくなる瞬間があって、気づいたら言いたいことが言えなくなっていた。

ひどい言葉をたくさんかけられて、陰でたくさん泣く羽目になって、私こんなことがしたかったんやっけ?ってたくさん自問自答した。




「見られている」

その不透明な感覚が、2022年最後の舞台を降りてからも、ずっとつきまとっていた。




インタビューが必ずしも自分の本心そのままに書き起こされないことは、私も幾度かの経験から理解している。

それでも彼女が語る言葉には、私の想像し得ない苦痛が滲んでいて、痛みを乗り越えるためのひたむきさも語られていて、ほんの少し勇気を分け与えてもらったような気になった。



「誰かのためになりたい」なんて積極的には思わないけど。

彼女が私のモチベーターであるように、「なおは自分のモチベーターだよ」って言ってくれる人たちがいたから、24歳の残り半年も書くことに向き合っていたい。

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