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後ろめたさと氷山の一角

28錠。



渡航前に処方された睡眠薬の数。1ヶ月分しか処方できないと、精神科の主治医は言った。




18錠。



ベンガル―ルで数えた睡眠薬の数。
東京では薬を飲んでも眠れない夜があったのに、こちらに来てからは数えるほどしか手に取らなくなった。


仕事から帰ってきて、ちゃんと眠気が来て、ちゃんと瞼が下りて、気づけばちゃんと朝が来ている。
一生命として当然の現象が戻ってきたことが、涙が出るほどありがたかった。





金縛りにあっているのかと思った。目が冴えていた。たまにはそんな日もあるか、と思った。会社に行った。今日はたくさん寝ようと思った。でもだめだった。一度の寝不足で意識は曖昧になっているのに、眠気はとうとう来なかった。また朝が来ていた。



一週間、眠れなかった。

日に日に疲れて、意識が曖昧になって、もう眠りについていたのかいなかったのかすらわからなくなった。永遠に思える夜は、最後まで途切れてくれないまま徐々に朝へと色を受け渡した。人生で初めて、心の底から死にたいと思った。人生を終わらせたいんじゃない、ただ眠りにつきたかった。死が永遠の眠りを意味するのなら、今すぐ私を死なせてほしいと思った。寝たい寝たい、なんで寝られへんの、なんで、寝たい寝たい、死にたい、死にたい。つかれた。



精神科か心療内科か。その違いを調べる余裕もなく病院を探した。家のまわりは病院だらけのはずなのに、精神科だけは初診の予約が埋まっていた。仕方がないから、バスに乗って、オンラインで問診票を記入して、向かった。もう怖いなんて言っている場合じゃない、本当にもうこれ以上は生きていられない。藁にも縋る思いで向かった先は、待合室から人が溢れていた。椅子の背は高く、お互いに顔が見えないように配慮されていた。診察室に通されて、どうしたのかと問う優しい声音に、涙が止まらないまま色々なことを訴え続けた。ここには私を否定する人も馬鹿にする人も監視する人もいない、その確信が世界で一番ほしかったんだと思う。



適応障害と告げられて、睡眠薬を処方されて、やっと終われると思った。同時に悔しくて仕方なかった。私に「どうせ金で選んだ仕事のくせに」「そうやってずっとしんどいって言ってれば?」と言った人たちの顔が浮かんだ。男のプライドというものは、友情だと私が勝手に思っていた関係よりも優位に発揮されるらしい。ざまあみろ、そんな声が聞こえた気がした。絶対に絶対に知られたくない、そう思ってまた苦しくなった。助けを求めた人たちは、私の連絡に気付かないまま日付が変わった。救いに思えた睡眠薬は、効かなかった。朝の4時を迎えたとき、多分人生で一番死にたがっていた。翌日は、眠れたんだろうけど何度か目が覚めた。その翌日は、夢の中にたくさんの死体が積み上がった。泥の中から死体を引きずりだしていた。

処方された薬の副作用は、悪夢だった。






自分で自分に感謝したのは、一人で抱え込めないところ。


休憩に連れ出して、コンビニのお菓子を奢ってくれた人。
オフィスで涙が止まらなくなったとき、一緒にいて話を聞いてくれた人。
サポートするから大丈夫だよって連絡をくれた人。
元気になったらランチ行こって言ってくれた人。
みんなで愚痴大会するかって笑ってくれた人。
悪いようにはきっとならないから、相談してみなよって助言をくれた人。
言いづらかったら自分も一緒についていくからって言ってくれた人。

「早めに相談して解決できるのも良いコンサルだよ」って後押ししてくれた方。
「仕事は人生を充実させるための手段でしかないから、無理する必要なんて全くないんだよ」って寄り添ってくれた方。
「もっと仕事をサボりましょう」って笑ってくれた方。
「たくさん力になってくれてありがとう」って言葉をくれた方。



縦も横も、その人らしい方法で寄り添ってくれた。「まだ頑張らないといけない」が、初めて「まだ頑張りたい」になった。そして頑張るために、今は休もうって思えた。この先関わる人には負の影響じゃなくて、良い影響を与えられる人になりたいって思った。




昔から、気にしすぎだって聞き飽きるほど言われてきた。


HSS型HSPという言葉を初めて発した2年前。
「それって障害?」「やっぱり理解できない」「ただの気にしすぎとしか思えない」と言われた。身近だったはずの、もう私の世界には存在しない人たち。

その鈍感さに焦がれた日もあった。
小学生のときに言われた陰口を、いつ誰にどんな状況で言われたかまで鮮明に思い出せる人間のことを、気にしすぎで神経質な面倒くさい人だと世は定義するらしい。

自分の人格に、気質に、人生に後ろめたさを感じない人種が一定数存在することを、私は知っている。自分の発する言葉に無頓着でいられる人種の顔を、知っている。私の状況が「そんなの気にしなければいいよ」「みんなそうだよね」で締められて違う話題に移ることも、知っている。







自分の心の中に怪物がいる、と話してくれた人がいる。


出会った瞬間から、なんとなく「嘘をつかれている」と感じた人。本心を引きずり出したくて、その最奥にあるものを明かしたくて、とにかく接点を持とうとした人。電話をかけては、たくさん疑念をぶつけてしまった人。

申し訳なかったなと今でも思う一方で、救いにも感じた。これまで出会った人のなかで、最も複雑で繊細なあの人の一面を素敵だと思うなら、自分を必要以上に後ろめたく感じなくてもいいのかもしれないって。これを読んでくれているのかわからないけど、もし自分のことだって気付いたら、またドライブに連れて行ってほしい。やっぱりあの場所に立つ人は輝いているって浮き立った興奮も、そんな人たちに点数をつけたことの苦痛も、直に伝えたい。





あの人の言葉に倣うなら、私の心の中には巨大な氷山がある。

遠くからは碧にも見える、白っぽく透けた氷山。その頂点が、真っ暗な海に浮かんで見える。
海面はいつも、微妙に浮き沈みしている。


何かが引っかかると、波は動きを止める。次に会うときは、海面を少し上げてみる。気のせいだと思えば、溜飲が下がれば、海面も元の位置まで下げて、元通りの氷山の姿になる。そんなことを繰り返し、考えても考えてもやっぱりだめだ、耐えられない。そう思ったら、思い切って氷山ごと海に沈める。海底に沈んでいくその息苦しさに窒息しそうになりながら、本当に正しかったのかと海面に届く太陽の光に後悔しそうになりながら、でももう二度と見せてやらないって誓う。氷山の一角でさえも。



大人になると思慮深い人は一定数増えるもので、わかる人にはわかるんだって気付かされる。



「いつも気を遣ってて大変そう」
「誰の前でなら気を張らずに過ごせるの?」
「心の中に巨大なナイフがある感じ」
「わかる人にはわかると思うよ」

おかげで色々なことを諦めて、たまには誰かに話せるようになった。





私ひとりなら、このままでも良い。
でも、向き合いたいとも思うようになった。あまりの冷たさに痛みすら感じる、自分の中の氷山と。暗い海の中に何が潜んでいるのか、私にさえも見えない。自分の扱い方なんて、未だに最適解が見当たらない。


こんな薄暗い感情でも誰かを救うことがあるって、あまりにも私そっくりなプレゼンをする男の子が教えてくれたから、記録として残しておこうと思います。

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