大阪府東部から銀閣寺への愛を叫ぶ

こんにちは。世界遺産への愛が自分の内だけに留めておくには些か大きくなりすぎたので、noteなるものに挑戦してみました。

書くのは初めてですが、実はnoteを読むのは結構好きです。韓国のアイドルグループにハマるたびに、ペン(韓国語でファンの意)による個性的なメンバー紹介や、初見に「絶対に」見てほしい動画の解説など愛があふれたnoteを熟読していました。

かくいう私も浪人中、iPhoneのメモ帳に推しドルの紹介文と特にビジュアルが良いMVと絶対に見てほしいステージの日付を書いたものを予備校の友達に見せて回っていた時期があります。メモの総数、男女グループ問わず30人分くらい。何しに予備校に通ってたんやという感じですが、「なおはほんまにアイドルが好きなんやなあ」と笑って聞いてくれていた友達には本当に感謝。


余談が過ぎましたが、今回私が紹介したいのは「銀閣寺」、すなわち世界遺産です。アイドルどころか人間ですらありません。まさか自分が有機物に愛を捧げる日が来るとは思いませんでしたが、せっかくなので某予備校時代のように文章にして、推しドルならぬ推し遺産の銀閣寺の魅力を語っていきたいと思います。

◇そもそも世界遺産とは?

私がここ一年ほど世界遺産に熱を上げているのは仲良しの方々にはいやというほど伝わっているかと思いますが、では世界遺産とはいったい何なのか?なぜこんなにもハマっているのか、少し説明させて下さい。


ユネスコの何か、観光スポット、よくわからんけど世界って言うくらいやからすごい場所。世間一般ではこんな感じの印象なのではないかと思います。私もそうでした。「何かわからんけどすごい場所」、この程度の認識だった世界遺産がある日、某雪だるまアイドルグループの推し、気象予報士お兄さんこと「阿部亮平」さんが世界遺産検定2級を取得したことを知り一転します。オタク、推しと同じ世界を見ようとしがち。


世界遺産とは、国連の専門機関であるユネスコ(本部はパリ)が「顕著な普遍的価値を有する」と認めた自然や建造物を指します。2021年7月の世界遺産委員会の決定により、現在世界遺産の数は世界全体で1154件、日本国内では25件!本当におめでたい。

ここで重要なのが、「顕著な普遍的価値」という言葉。ざっくり言うと、国や文化、宗教や性別といった枠組みを超えて人類みんなにとって今もこれからも重要であることです。

「世界遺産とは、地球の品位を守るもの。」これはインドネシアの世界遺産であるボロブドゥール寺院の修復完成式典で、当時京大名誉教授だった桑原武夫氏が語った言葉です。私はこの言葉がすごく好きで、世界遺産の意義も魅力もこの言葉ひとつに集約されているな、としみじみと感じます。



以下はただの所感です。


果てのない大宇宙に地球が爆誕して46億年。その途方もない数字を思えば、人類の歴史なんてミジンコ程度の幅でしかないでしょう。でもそのたったミジンコ程度の年月で、人類は良くも悪くも本当に発展を遂げてきました。「進歩」という言葉を使わないのは、果たして本当に現代社会が「かつてよりも進み優れた社会」なのか、私には断言できないからです。自然は恐れ敬うもの、自然は意のままにならないもの、というのが昔の人々の共通認識でした。かの白河法皇も、自身の絶大な権力下にあっても意のままにならない天下三不如意として「鴨川の水、双六の賽、比叡山の僧兵」を挙げています。洪水はどうにもできない、そこにあったはずの自然に対する一種の諦めは、産業革命以降少しずつ、希望という名の傲慢に変わっていったように思います。

人類が力を持ちすぎた、すなわち科学と技術を発展させ続けた代償は誰が払うのか。少なくとも日本でのんびり生きている一大学生の私ではありません。それは気候変動によって最初に絶滅したとされるブランブルケイメロミス(オーストラリアのめっかわネズミ)であり、文明化によって住処を追われた宮古島のミヤココキクガシラコウモリ(ちょっと強面)であり、石油の流入でオイル塗れになって死んでいった何千羽のペンギンたち(トム・ミッチェル著『人生を変えてくれたペンギン』)であり、未来の人類です。世界遺産といえば美しい自然や歴史ある建造物がクローズアップされがちですが、決してそれだけではありません。人類が犯した過ちを後世に伝え教訓とする、広島の原爆ドームをはじめとした「負の遺産」や、環境破壊や紛争といった要因により明白な危機にさらされている「危機遺産」など、知れば知るほど恐ろしく感じる遺産はたくさんあります。

「地球の品位」とは、人類が地球という住処を与えられた数多くの生物の一種であるという自覚を持つこと、世界遺産とはその意識を常に思い出させてくれるものだと考えています。世界遺産に登録された、また世界遺産登録待ちの自然や建造物から、過去と現在と未来を繋げて思いをはせられる人間になりたいものですね。

長々と語りましたが、要は世界遺産とは人類みんなにとって大切な場所だということです。そしてなぜ私が世界遺産を愛しているのかというと、歴史と自然が好きだからです。あまりにも単純で恰好がつかないのですが、それ以上の言葉が思いつきませんでした。世界遺産は私にとって、日常の中で見落としてしまう幸せや気づき、地球の一員として考えるべきことを思い出させてくれます。そういった瞬間を楽しいと思っちゃうんですね、考察大好き人間なので。



◇ようやく銀閣寺の話


前半戦でだいぶ気力を失ったのですが、メインはここなので頑張って書きます。
私の現時点での京都最上の推し遺産、銀閣寺について語ります。

まず位置付けですが、京都では「古都京都の文化財」という名前で17件の寺社仏閣とお城が一つの世界遺産としてグループで登録されています。平安から桃山まで、京都が日本の中心だったころの歴史を表す建造物が選りすぐられているのがポイント!
有名どころだと清水寺、金閣寺、平等院などでしょうか。これら全てが一つの世界遺産として扱われているで、日本の世界遺産25件が実はもっと多くて回りきるのが大変だということがおわかりかと思います。世界遺産の魅力のひとつは、一生かかっても世界中の世界遺産を回り切れないほど途方もない数だと思っています。私も芭蕉みたいに旅したい。


銀閣寺は本当に一生に一度は訪れてほしいし、何なら私がガイドしたいのですが、物理的に不可能なのでnote上でオンラインガイドさんになりきろうかと思います。

では、室町幕府8代将軍・足利義政が自らの憩いの場として設けた銀閣寺(正式名称:東山慈照寺)を見ていきましょう。



① 観音堂

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国宝にも認定されたこの観音堂が、銀閣と呼ばれている建造物です。名前の通り観音菩薩坐像が安置されているのですが、この観音堂の見どころは「色」と「向き」。

金閣寺は金やのに、銀閣寺って銀ちゃうやん!と絶対に一度はつっこまれてしまうこの銀閣。黒の漆が足利義政の思うわび・さびを絶妙に表現しています。なぜ黒なのに銀閣と呼ぶのか、様々な説のなかで最も有力なのは「金閣寺と対照にするため。」かつて貼られていた銀がはがれてしまったという説もありますが、最近の調査では表面どころか土台の木材からさえ銀が検出されなかったそうです。義政の嗜好を考えても、銀箔でギラギラ輝かせようとは考えなさそう。

そして向きですが、京都の市街地にあえて背を向けているこの銀閣。政治に疲れた義政が、都の喧騒から文字通り目を背けたかったから反対を向いているなんて、初めて知ったときは衝撃でした。理由は後述。建造物の向きひとつとっても逸話があるなんて面白いね。


② 向月台と銀沙灘

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私が一番惹かれたのがこの二つ。奥に見えるかなり大きな山型の砂盛「向月台」と、平面の「銀沙灘(ぎんしゃだん)」です。現代人なのに普段「エモい」という言葉を使うことに非常に抵抗のある私ですが、これには流石に「エモい」と言わざるを得ない。エモーショナルにもほどがあります。

向月台は読んで字のごとく、座って月を眺めるためのもの。そして銀沙灘は、月の光を水面が反射させている様子を砂で表しているそうです。感性があまりにも優れていませんか。今から約550年前の日本に、月明かりと水面を砂で表現してしまう人物がいたなんて、もうこの二つだけで重要文化財に指定すべき産物です。かの岡本太郎氏もこの砂盛を絶賛しています。やっぱり芸術はどこかで爆発するものね。

お月見という文化もなかなか風情があると思うのですが、藤原道長の望月の歌といい、やはり日本人は昔から月に風情を感じる民族なんですね。

(余談ですが、ラテン語lunaから転じたlunaticという語は「狂人」「精神異常の」といった意味があります。国によって月の捉え方が違うのも興味深い。)


③ 錦鏡池

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錦鏡池、これもぜひ実物を見てほしい銀閣寺の魅力の一つです。国の名勝庭園に指定されているだけあって景色も素晴らしいです。

それもそのはず。この錦鏡池は、同じく世界遺産であり苔の名所である西芳寺を模して造られたものなんです。

当時から緑が美しいと評判だった西芳寺は女人禁制。母親にどうしてもあの美しい西芳寺の庭を見せたいと考えた義政は、なんと20回近くも西芳寺を訪れ、自ら作庭指導をし、この錦鏡池を完成させたといいます。

緑の美に心動かされた義政の感性の鋭さと実行力もさながら、母親のためにここまでできる孝心には感服しました。現代でこんな話なかなか聞かんよ。


◇足利義政と私

室町幕府8代将軍・足利義政と聞けば、何を連想しますか?

彼が生きていたころ、当時の日本を揺るがす歴史的事件が起きました。そう、京都を焼け野原にした、1467年の応仁の乱です。京都の寺社仏閣がたいてい改修済なのは、この戦争が原因。
足利義政といえば、妻の日野富子と弟の足利義視との後継者問題に決着をつけられなかった優柔不断な将軍というイメージがぼんやりとあるのではないでしょうか。


また、義政は東山文化を代表する文化人としても有名ですね。

某予備校時代、日本史の先生が「鎌倉の武士はただのゴロツキ、室町の武士は教養人。同じ武士として一括りにするもんじゃない」と言っていたのをよく覚えています。

義政は政治面での評価は散々なものですが、芸術面では書院造の完成など東山文化の一翼を担う、とても優れた人物でした。

銀閣寺の魅力をたくさん述べてきましたが、結局のところ一番は、私が足利義政にシンパシーを感じているのだと思います(おこがましいにもほどがある……)。
具体的なものよりも抽象的なものを考える方が好き。絵や芸術に関心がある。画家を尊敬する。等々、就職活動でおなじみの性格検査の項目を義政が回答したとしたら、私の回答とほぼ一致する自信しかありません。そしてこうした人間は往々にして、大勢の中のナンバーワンになるよりも自分の世界を確立する方が大事だし、そもそも人付き合いだって狭く深くがモットーだし、あまりにつらいことがあると周囲のノイズを全てシャットアウトしたくなっちゃうんですね。

銀閣が市街地に背を向けていると知ったとき、私は教科書の中でしか知らない義政に強く共感しました。ああ、この人は私とおんなじやなあって。

義政が自分の憩いの場として設けた銀閣寺、実は完成を目前に義政は病気で亡くなっています。自分の追い求める理想を忠実に再現しようとして造られた最上の極楽浄土を目にすることなく死んでいくのはどれだけ無念だったかと思うと私まで悲しいのですが、ポジティブシンキングやウェルビーイングといった言葉が社会を席巻するこの時代、どうにもそちら側に立てない自分と同じような気質の人間が存在したという事実だけで、なんだか救われる気がしますね。


◇おわり


ここまでの字数、4749字。大学のレポートもこれくらい捗れば私のGPAももっと高くなったのにと悔やまれますが、そうは問屋がおろさない。絶賛人生迷走中の私ですが、義政のように何かとの板挟みになったとしても、心に一つ理想郷を持って生きたい所存です。

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