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【人気記事】これだけ!?あなたの願望実現しない衝撃の理由。

割引あり

⚫︎ 最終更新日┊2024.0404

あなたに開運波動を送ります🌈.。.:*・゚




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こんにちは😃
インフィニティアーティストNAOです。

これだけ!? あなたの願望が、叶っていない本当の理由。

今日は、
こんなお話、していきたいなと思います。


このnoteの記事から、
初めて私NAOと出会ってくれる人もいるかと思いますので、

もしくは、最近アーティストNAOのことを知った、
という方もいらっしゃると思いますので、


とりあえず、
私の引き寄せ体験・実績を
まずは、シェアさせていただきますね。


「食べたいと思っていたアイスをもらった〜」だとか、
小さいものは色々あるでしょうけれど、
今回は、人生のターニングポイント的なところ3つ、
かいつまんでみますね。


私NAOが、叶えてきたことは…




人生の試練1・美大受験

のときのお話です。

高校生の頃です。
進路にまよった挙句、結局美大に行きたいと気持ちを伝えた私。ですが、母親からは「あんたに、せっかく貯めてきた私の老後のお金を払うわけ?」と衝撃の言葉を放たれました。

親=子供のことを思うのが当然
自分がやりたいことは応援してくれるのが当然!
それこそが、親から子への愛ではないの!?と、当たり前に思い込んでいた私でしたが、母親は私の理想の愛とは、いつも、いつでも全く真逆な態度なのでした…。「親が子供を愛して当然、子供は宝物」というイメージは、これは完全に父親からの刷り込みでした。父親は母親との真逆、子煩悩で、いつも優しく、困った時には助け舟を出してくれました。私にとっていつでも助けてくれる父親は、まさにドラえもんのような存在でした。それゆえ、父親っ子だった私にとっては、母親は完全な悪者だったのです。今でこそ、父親からもらったイメージを母親にぶつけてしまって申し訳なかったとは思っていますし、母親なりの愛情のカタチであったことは今でこそ、理解しています。


まぁ当時、私NAOは、わからずやでしたので、いつも母親とはバチバチのバトルを繰り広げていたのでした。。。


1年間で合格しなければ、フリーターになって、家から追い出す(一人暮らししなさい)勝手に自分の人生歩みなさい!、と言われる始末。(あなたの人生知りません。)と本当に、突き放されました…。「これが、母親なの!?まったく望んでない!!こんな母親…!!!涙」と、いつも、世間の優しいママが羨ましくて、羨ましくて、たまりませんでした。涙

世間のママと、実の母親を比較していたことも、今では反省ですね。


→超努力した結果、たった1年で、武蔵美に合格しました。

 現役での受験は、一度高校2年の夏から美術予備校に通ったものの、絵が上手な人がいっぱいいすぎて、自分がうまいなんて、勘違いだったのかも…と思い、一度は予備校を辞めました。

でも、やっぱり諦めきれない….


普通の大学に見学に行っても、「そこにいる自分」をまったくイメージできなかったんです。

結局「やっぱり美大に行きたい!」となりました。そのときにはもう高校3年生の冬。受験にはギリギリすぎました。

「一度自分で行くと決めたくせに、コロコロ変えるんじゃないっ!!」

(これ、宇宙の法則的にごもっともなのですよ)

とまた、母親からお叱りを受けたことを覚えています….。進路決めが遅くなり、現役受験は撃沈。。。。

そう、このときの私は、まさに自分色で生きる(自分軸で生きる)どころか、他人に、外側に振り回されっぱなしでした。引き寄せの法則、宇宙の法則を知らなかったので、当然のことでした。

外側が先にあるものだと思っていたのでね。



でも、この自分で自分の人生を決める、ということを初めて自分で実践できたのが、この受験での体験でした。私自身、相当に大変でしたし、両親を振り回してしまいましたが、17〜18歳の間で、自分で決めたことに対して責任を取る!!!という意識の練習になって、本当に良かったですね。。



自分で決めたからには、

絶対に合格しなければならない…!!!


しかも浪人はできない、私には、後がない….!!!



 春から気をあらためて、デッサン、色彩平面構成のイチから基礎の基礎を学び直しました。
いける他の予備校のコンクールも、全部行きました。(池袋、立川、渋谷、お茶の水….と美術予備校って色々あります。)

最初はビリでしたが、クロッキー(形をとる練習)も何十冊もして、どんどん私大には受かるレベルになっていったのを今でも覚えています。お金もかけられる範囲がありましたので、ツテをたどって、美大受験が終わった人の画材を一式5000円の格安!!で買取り、それを使いました。

これも宇宙の法則なのですが、然るべき時、然るべきものは与えられるんですね、必ず。。。受験の道具一式5000円は普通にありえないことです。

実際美大受験したことがある方でしたら、わかると思いますが、新品で揃えたら全部で10万くらいしてしまうかもしれませんよね??


週1でアルバイトもしていました。回らないお寿司屋さんです。要は高級寿司店。皿洗いをはじめ、茶碗蒸しに銀杏いれたり、ゲソの唐揚げつくったり、しましたね。懐かしいですねぇ〜。

そんな頑張りの甲斐があって、見事1年で合格したのでした。
めでたし、めでたし。。。




充実の美大生活4年間を過ごす
(今回は割愛します)
どんな作品を作っていたか知りたい方はこちら


人生の試練2・美大卒未就職で卒業。

 なんと、せっかく有名美大を卒業したのにも関わらず、未就職で卒業してしまいました。都内に下宿までさせて、医学部並みにかかる高い学費も、浪人も応援してくれたのに、こんな残念な結果を、当時、両親はどう思っていたでしょう。。。相当ガッカリ!!させてしまったのではないでしょうか。。。


 そこから始まったのは、ただバイトと作家活動をする日々でした。バイトの転職は、おそらく7〜9回してしまいました。行く場所行く場所、パワハラ、モラハラ、残業激務のオンパレード….。おそらく当時のセルフイメージが低すぎたので、そういう環境を引き寄せてしまったのですね。


どれも全然続かなくて、自分で履歴書を傷つけるばかりでした。。
毎月の年金も払うのがキツくて、自分で市役所に行き、当時ストップをかけに行きました。学生という身分がなくなった途端、払うものがいっぱいありすぎてビビりました。(世間知らずすぎ)


卒業して守られていた大学生という看板が何もなくなってから、の超絶的な生きづらさ。。。

1時間30分の満員電車通勤も嫌だし、
決められたお給料も嫌だし(苦笑)
強制的な残業も嫌だし(明日に響くし….)
絵が描ける職場だと思って入れば、
全く絵を描く仕事がなくて雑用の雑用の雑用ばかりの仕事。。。


「全く、のそんでな〜い!!!」

怒+涙


↑これも、全部自分で引き寄せてしまった…



上司、社長の顔色をうかがって仕事をする毎日で、

いっきに老け込みました。

私は、割と若く見られることが多いですけれど、あの時ばかりは、老けました。。


健康体なはずなのに、無駄に病気になるし、ついにはベッドから動けなくなったんです。。このままじゃ何も先が見えない…人生詰んだ。
そんな日々が5年過ぎようとしていて、このままじゃ「本当にまずい。」と。


→父の知り合いの経営者に頭を下げて絵と引き換えにお金をもらう。
→全ての時間を制作+自己投資に費やす。自分で生計を立てる。
→機能不全家庭の環境が嫌でたまらなく家出計画を企て、実際に家出する。
実際、一人暮らしとあまり変わらない生活をしていたことに気づきました。しまいには台所に立たせてもらえなくなったので、「一人暮らししよう」となりました。

ちなみに、当時バイトだけでなく、あらゆるイケそうなコンペに出しまくり賞金稼ぎをしていました。(苦笑)賞金も、何気に3万円〜だったりするので、ギャンブル、博打のようですが、当たればバイトするより手軽に稼げると、当時の私は感じていたので、「数打てば当たる精神」で出していましたね。実家にいるとき父親に「お前、どうやってお金やりくりしてるの?」と言われていましたが…。


そのときの内容はこちらに全て記述しました。




人生の試練3

両親の不仲を見て育ったゆえに

恋愛で毎度こじらせる私。




運命のパートナーを引き寄せ、結婚する。


→私NAOは、三番目の子として、父と母の間に生まれました。なので、母親の言動には沢山傷ついてきましたが、両親は私を希望して産み育ててくれたんだな、という自覚は、なんとなくあります。
でも実際幼稚園以降〜からの人生、小学校〜浪人時代、美大に入るまでは全く人生に楽しさ、生き甲斐を見出せなくて、消えたいと何度も思う時がありました。実際、小学生〜中学生までひどいいじめは続き、高校生になっても嫌味を言われるなどはありました。。
「いじめられてる」と母親に告げても、無理やり車に乗せられて学校につれていかれました。「弱々しいお前が悪い、堂々としていればいじめられない。」と、母親に守ってもらえたという記憶がありませんでした。
母親も仕事をしていたので、家に一人子供がいられては、困ったのでしょう。とはいえ、無理やり連れて行かれるのは、まさに地獄の時間を過ごすことになるので、それなら、不登校になりたかったです…。本当に。今の時代ならフリースクールでもなんでもあると思うので、私のような状態のお子さんはこういう選択肢の方が、心が死ななくていいと思いますよ。と余談でした。





 いつもイライラしている母親をそばで見て育ち、感じていたのは、「家庭を持つと不幸になるんだな。」ということです。看護師としてただでさえ激務な仕事をする中、子育て三人をしている母親。今大人になった自分で解釈すれば、相当大変だっただろうな…とよくわかります。
ですが、自分がいるから、母親はなんだか、めんどくさそうだ。迷惑をかけているんじゃないかな。。反対に、父親はとても優しかったので、「こんな環境にいるくらいなら、早く離婚してくれないかな…」と思っていました。(こんなに仲悪いのに、離婚せずにいるのが不思議でならない。。。)

  • 「結婚すると、不幸になるんだ」

  • 「異性と付き合うと、めんどくさいんだ」

  • 「子供がいると、人生が大変なんだ」

実家にいるまで、上記のことが、ず〜っと、潜在意識に刷り込まれてしまいました。こういう経験をされた方、今もしている方、きっと私だけじゃないはずです。なので、上の兄弟もまだ結婚していません。多分、幸せなイメージが湧かないんだと思います。。。


辛いですよね。。
とっても、気持ちわかりますよ。

大学2年生くらいから、どうにかこうにか、私自身の人生の問題を解決したくて、本を読み出して、

「インナーチャイルド」
「潜在意識」
「自分の人生を取り戻す」


など、興味を持って
絵の制作と同時にたくさんのお金と時間を費やしてきました。
そういう関連のセミナーにも参加しましたし、そういう人生についてのお話を聞いたり、考えることが好きで、有名な著者である本田健さんのセミナー、浅見帆帆子さんのセミナーのお手伝いもしたことがあります。
(セミナースタッフの端くれだったので、当ご本人方との面識はほぼないです。)

私自身も、自分の人生を取り戻すのに、とても時間がかかったと思います。
やっぱり、5〜7年はかかった気がします。人によると思いますが。

「絶対、結婚なんて、しないわ。」「それより、アーティストとして成功するのが先だから、パートナーシップは、私の人生にいらない。」「傷ついたりする時間がもったいない。」と思ってきた私ですが、


それでも、ノートにひっそり、とりあえずの願望として、「こんな人がいいな」、と書き記していたパートナーと出会い(勝手にやってきて)、付き合い、結婚し、今にいたります。最初はもちろん喧嘩、いや、今も普通に人間ですから、時折喧嘩はします。それでも、すぐに仲直りできますし、お互いの価値観の違いを受け入れ、楽しく生活ができています。

あんなに、結婚したら不幸になるって思っていたけれど、今では心から、結婚して良かった!と自信を持って言えますし、結婚を考えている方には、「結婚、いいよ!楽しいよ!」と推したいです。一緒にいてくれる主人にもとても感謝しています。

考え方が変われば、
解釈が変われば、

人生まるっと、ガラッと変わる。



そんなことを伝えたくて、書き綴ってみましたが、
とても、前置きが長くて、ごめんなさい….汗



とにかく、

「叶えられないだろうな〜」


「自分には、無理だろうな〜」



そんな刷り込みを少しずつ少しずつ破壊して、
現実想像、創造、引き寄せてきました。


もしも、あなたの叶えたいことが

長年ずっと叶っていないのなら….

それは、おかしい。


 そんな私NAOから、そのような私だったからこそ、
お伝えできることがあるとおもうので、よろしければ、少し、聞いていってほしいと思います。







それは…..

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