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旅をする意味 @12月26日
こんにちは。なおきです。
年末まで毎日投稿するという目標を立てて始めたnote。3日ほど投稿できなかった日はあったけれど、3日坊主になることなく続けることができています。
これまでどんな投稿をしてきたのかなと自分のマガジンを振り返ってみると、自分が何に悩んでいたのかがよく表れています。2018年が終わる前に、もう一度考えたいなと思ったのが、一番最初に投稿したこの記事について。
人生に意味などないように、旅にも意味はないと思う。
でも、頭ではわかっていても、心の底から納得できていないから、事あるごとに探してしまう。旅に意味がないとすれば、世間のルールから外れ、ただ遊んでいるように思えて、自分を許せなくなってしまうから。
旅をしている意味を探して、人に説明できるようになりたいと、そう感じていました。みんなに尊敬される立派な生き方をしたい。そのためには、自分の行動に理由と根拠があって、聞かれたらきっちり説明できなければならないと。そして、それができない自分には価値がないと、そう感じてしまっていたのです。
それがつらくて、つらくて。説明できないのは、旅に意味がないからだと決めつけて。意味がないのだから、理由が見つけられないのは自分のせいじゃないと思い込もうとしていたのかもしれません。
言葉にすることは、心の持つ無限の可能性をたった数個の単語に押し込める。
僕の考えでは、無理に自分の心のうちを言葉にする必要は全くない。
言葉をスケープゴートにして、心の移ろいを言葉に表すことを否定したりもしました。人間は言葉や身振りでしかコミュニケーションがとれないほどに不自由な生き物だけれど、いまは、言葉の持つ素晴らしさ、美しさが少しわかってきたつもりでいます。残念ながらそれを人に伝える言葉はまだ紡げそうにもないけれど。でも、ちょっとくらい心のうちを言葉にすることもわるくはない。
いま思う、旅をする意味
いまも、旅に意味はないと思います。
でも、解釈は少し変わり、今僕たちは「旅をしている」のではなくて、「僕たちがしていることが旅と呼ばれる」のだと考えていて。
例えば、「山に登りたい」と思った人は、「登山をしている」のですが、「山の向こうに住む人に会いたい」と思った人は、登山をしたくてしているのではなく、「結果的に登山している」わけです。
だから、僕も「フィンランドに行きたい」とか、「デンマークのフォルケホイスコーレに行きたい」とか、あるいは「温泉に入りながら働きたい」とか、そういうやりたいことを1つずつやっていたら「結果的に旅をしている」状態なんだと、そう思えるようになってきたのです。だから、旅はただの名前なので、意味がなくて当然なんです。
旅に意味があるのかないのか。その不毛な議論が頭の中から消えただけで、すごく楽になりました。記事を投稿してからたった1ヶ月半ですが、自分が変化をしていることがよくわかります。noteを始めることを勧めてくれたさゆりさんに感謝です。
2018年もあと5日。2017年に引き続いて激動の年になったけれど、来年からの人生をこんなに楽しみに感じながら年の瀬を迎えられることを、すごく嬉しく思います。本当にありがとう。
なおき
読んでくださって、本当にありがとうございました。