旋律

出先で、こじんまりとした良い雰囲気のバーがあったので、そこで少し飲んでいくことにした。
カウンターの奥の方の席に座り、当たり障りのないカクテルを嗜みながらボーッとしていると、隣の席に、お世辞にも綺麗とは言えない身なりのおじさんがどさっと座った。

「見ない顔だねぇ。ここ、初めて?」

いきなり話しかけてきた。常連なのだろうか。
バーには似合わない見た目だけれど。

「あ、まぁ…。仕事の関係でこの辺に来まして、ちょっと寄ってみたんです。」

当たり障りのない返事をする。

「へぇー。仕事か。何の仕事してるの?」

一人で静かに飲みたかったので少し鬱陶しかったが、まあいいや、そう思った。

「ええと、あの……音楽を。」

「へえー、音楽、ね。売れてるの?」

「どう、でしょう…。まあ、生活に困らない程度には…有り難いことに…。」

人見知りなので、しどろもどろな返事しか出来ない。

ふーん、と興味無さそうな返事をして、煙草を取り出して一服しだした。そっちから聞いてきたくせに。

暫く会話が無かったので、そろそろ帰ろうかと考えていた時に、おじさんが再び話しかけてきた。

「娘がな。音楽で食っていきたいって言うんだ。今、A大の軽音楽部入ってんだけど。何だっけか、テラカワユウキ?とかいう歌手が憧れで、将来絶対デュエットしたいんだとさ。音楽で、なんて、上手くいく保証ないし、親としては一度反対したんだけどなぁ。」

テラカワユウキ。紛うことなき僕だった。
それ僕です、という言葉が、もう少しで喉から出るところだったが、何となく言ってはいけない気がして、ぐっと堪えた。

「反対はしたけど、心のどこかでは反対する気は無かった。やっぱり応援してあげたいんだなぁ。難しいよ。本当に。」

どこか切なげな目をした。
良い父親なのだろう。きっと。絶対。

「一度学祭で聴いたんだけど、良い歌歌うんだよ、良い声だった。お前さんは、親は反対しなかったのかい?」

「…うちの親は、結構放ったらかしだったので。良い意味でも悪い意味でも。ふーん、みたいな感じでしたね…。」

あまり干渉してこない親だった。有り難い時もあったけど、どこか寂しかった。
だからこそ、このおじさんの娘さんが羨ましかった。

「へえ、そうかい。」

矢張り少し興味無さげな返事をする。

「すいません…そろそろ。」

「ああ、そうかい、すまんね話に付き合ってもらって。」

「いえ、とんでもない。」
口の端にほんの少しだけ付いたカクテルの甘味を、微笑みで溶かしながら。

席を立った時に、一言付け加えた。

「…あ、そうだ。僕も、いつか娘さんとデュエットしたいです。……そう、お伝えください。」

そう言って、さっさと会計を済まして外に出た。
一瞬だけ、おじさんは不思議そうな顔をした。

外は一層寒く、雪が頬をそっと撫でる。

駅に向かっていると、雪に溶け込むような、透明感ある歌声が聞こえてきた。
ストリートミュージシャン。若い女性が、辺り一帯の空気を震わせていた。誰も立ち止まりはしない中で、僕は立ち止まった。

僕の歌を歌っている。


「彼女」の夢は、思ったより早く叶えられるかもしれない。きっと。少し上から目線な言い方かな、これじゃ。

演奏を終えたところで、声を掛けた。


「あの、」

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