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水槽

母が死んだらしい。
そう言われても、何も感じることが出来ない。

「50%の確率で毒ガスが噴射される箱に猫を入れた時、その猫が生きているか死んでいるかは箱を開けてみるまで判別出来ない」

かなりあやふやで掻い摘んだ説明だが、シュレディンガーの猫という有名な思考実験である。
結局、人間は自らの視覚を通じてその場面を目撃しないと、出来事を認識出来ないのだ。
よく分からないが、ともかく、「母が死んだ」ということをいきなり言われたところで、その場面を目の当たりにしていないので、どうもそれを事実だと受け入れ難い。

水槽の金魚に、パラパラと餌をやった。
綺麗な赤をしたその金魚に、全力の微笑みを向けて。
「ごめんね。暫く帰って来れないや。」

私は、クローゼットの奥底に眠る、高校時代のセーラー服を引っ張り出して着た。私はもう高校生ではない。
しかし、その懐かしいモノクロの青春の香りが鼻についたとき、確かに私はその頃に戻ったのだ。

最低限の荷物と、道端で拾った白い花(名前は分からない)を持って、扉を閉める。
もうすぐ夏になろうとしている、むさ苦しい匂いと淡い色の空。
母は、母はどうしようもない人だった。でも、今日みたいな淡い空を眺めるその横顔は、この世で1番綺麗だった。私はあの横顔以上の綺麗なものを見たことが無い。

私は、これから一人の人間の、人生を終えた顔を見に行くのだ。そうして、やっと「死」の事実を認識した時に、私は果たして涙を流すことが出来るのだろうか。

電車に乗る寸前、後ろを振り返る。
こちらに戻ってきた時、あの金魚は死んでいるんだろうな。

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