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うんざりな親に、今なら贈り物をしたい気がする。

わたしは家族が好きではない。
過保護すぎる親で、干渉されることにうんざりしていた。

「今日は誰と遊ぶの?」
「どこに行くの?」

親は現実主義で、変化を好まないタイプ。それに対して、わたしは自分の気持ちが向く方に進みたい自由人間。
人生のレールに乗って欲しい親の思いと、レールに乗りたくないわたしの思いは、出発の汽笛が鳴ることはなかった。

わたしがやりたいことはいつも否定され、話をまともに聞いてもらえず、親の価値観を押し付けられてきた。海外に一人旅に行きたいと言ったときには真っ向に否定され、今の就職先(ベンチャー企業)についても反対された。

どうせ話してもわかってくれないし聞いてくれない、という諦めを学んでから、自分のことはあまり話さなくなった。だんだんと会話が減り、社会人になって一人暮らしを始めてからは、仕事が忙しいからと理由をつけて連絡をすることもまばらになっていった。

歩くのも大変な北海道の冬。外は一面真っ白で、家に籠る日々が続いていた。
旅行に行けないもどかしさを感じて、実家に置いてきた旅のアルバムを送って欲しいとお願いしたことがあった。
段ボールが届いたので開けてみると、中には、
りんごや梨、お餅、おかゆ、レトルト食品、ビスケット、手袋……
隙間がないくらいのお菓子やお花が詰め込まれており、わたしがお願いしたアルバムは一番下に埋もれていた。

質素なわたしの部屋に入ってきたその物たちは、雪のように冷たかったが、あたたかさを放つ姿は蝋燭のようだった。
「嬉しい〜」
自然に漏れ出た小さな掠れ声。

心がじんわりあたたかくなって、誰とも喋らなかったその日の顔の強張りがほどけていくのを感じた。

近況報告もせず、何をしているかもわからない状態のわたしですら気遣ってくれる親。
常にわたしのことを心配してくれていたのはわかっていたが、重い錨のように心の奥底に沈んでいたのだ。

わたしのことを心配してたくさん詰め込んでくれたのはきっと母だ。

母は、わたしの受験期に体を気遣ってバランスを考えたご飯を用意してくれたり、就職活動中に相談に乗ってくれたり、と自分のことでいっぱいのわたしをサポートしてくれた。
嬉しさを伝えようと電話をかけたが、わたしの中にいる「クールさん(感情を表さない)」が顔を表し、ただ一言
「ありがとう。」
そう伝えるだけで精一杯だった。

その段ボールの中にはもう一つ、あたたかい空気も入っていた。
かすかに感じる、父だ。
一見すると、母が送ってくれたように感じるが、父もわたしのことを気にしてくれていることをわたしは知っている。
この荷物を郵便に出してくれたのは父だろう。
「あれも入れてやったらいいんじゃないか。」父と母の会話が頭に浮かんだ。

父は、お茶目な人で、人を楽しませるのが得意だ。
一方で、お腹が空いていたり、頭の理解が追いつかなかったりするとイライラし始めて、相手への口調が強くなる。

食べ方が汚くて、なんでも胃に流し込む勢いで食べてしまうので、わたしが結婚するなら絶対に食べ物を味わってくれる人を選ぼうと思っている。

父はわたしと似ていて、感情を表すことにセーブをかける「クールさん」が父の中にもいる。
スポーツが好きで、群れで行動することを好まないわたしは、4人家族(父、母、姉、わたし)の中で落ち着く存在だっただろう。一緒にスポーツ観戦をしたり、ご飯を買いに行ったり、ふざけたり、母と姉の買い物が終わるのを一緒に待つことも多かった。

段ボールから感じた父のあたたかさは、「家族を大切にする父」。
そんな「家族を大切にする父」を見るようになったのは、祖父が亡くなったころからだろう。

初めて父の涙を見た。
おちゃらけて笑顔の「喜」な父、お腹が空いてイライラしている「怒」な父、一緒にスポーツ観戦をしたときの「楽」な父は見てきたが、「哀」の父は見たことがなかった。父の人生の中には、わたしが知っている家族の中で見せる姿だけではなく、幼い頃から祖父とともに歩んできた他のさまざまなストーリーがあることに、はっと気づく。
そのころから、わたしの父への見方が変わった。

環境が変化したことやわたしの心が成長したこともあるだろう。
「家族を大切にする父」は至る所に存在していた。

まもなく還暦という年齢で家の購入に踏み切った裏には、家族それぞれの人生が変化してもいつでも帰ってこられる場所にしたいから。

時におちゃらけたり、ちょっかいを出してくることは私たちを楽しませるため。
帰りが遅くなるという連絡をするとすぐに返信してくれて、家に帰るとトイレに起きた父が「おかえり」と手を振ってくれた。意識半分でわたしの帰りを待っていたのだろう。

心配しすぎる母を宥めてくれていたのも父だった。
実家に帰ると、「何食べたい?」といつもわたしが好きなものをたんまり用意してくれる。
一人暮らしのわたしの家に1週間遊びに来て、ご飯を食べに連れ回してくれたこともあった。
スマホのロック画面やホーム画面が私たち家族の写真であることからも、「家族を大切にする父」が感じられた。

女しかいない家族生活で、苦しいこともたくさんあったと思う。
母と父が喧嘩したとき、母は私たち姉妹に愚痴をこぼすことができたが、父は決して何も言わなかった。1人で抱え込んで解決していたのだろう。

思春期の娘たちは母親との繋がりが強くなりがちだから、気を遣っただろうに。
自分のことよりも家族のことを考えてくれる父は、だんだんと祖父に似てきたように感じる。

今、わたしが父のお葬式に出たとしたら、どんな気持ちになるだろうか。

泣くだろう。

それは悔し涙と謝罪の涙だ。
わたしは父に感謝の気持ちを伝えきれていない、親孝行できていない。
もしかしたら、父の涙もそうだったのかもしれない。
だから今、家族への愛に溢れているのだろうか。

もうすぐ父の61歳の誕生日だ。時が経つのは早い。あと何年、同じ時を過ごせるのだろう。

「今年の誕生日プレゼントは何をくれるの?」
物で解決しようとするところも、この家族が好きになれない。

でも、きっとその「物」の中に、「わたし」のあたたかい空気を感じ取ってくれるのだろう。
だから、わたしもそこに吹き込みたいと思う。
「実は父が大好きなわたし」

さあ、父に何を送ろうか。


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