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【読書感想】岸田奈美さんの『もうあかんわ日記』を読んで

はじめに

岸田さんに届くといいなと思って書いてみる。
ネットの大海原に、瓶にお手紙を詰めて波に任せるような、そんな気持ちです。
そしてこれを読んだ人が、この本を読みたくなるような文が書けたらもっといいなぁ。

岸田さんの本との出会い


岸田さんの作品は『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』『傘のさし方がわからない』を読んで、最後に手に取ったのがこの『もうあかんわ日記』なのでした。

岸田さんは、突然死してしまったお父さん、車椅子ユーザーのお母さん、ダウン症の弟さんという側から聞くと壮絶な家族構成だけれど、その中でも明るく強く生きている毎日を書いている作家さん。

はじめて本を読んだときは肩を震わせながらすぐにファンになった。肩を震わせているのは押し殺した笑いだった。
ネガティブの塊のわたしが今から岸田さんの状況に立たされたら、他人との違いに発狂して給食のねじりパンのようにねじねじにねじ曲がった劣等感いっぱいの卑屈マンになっていたと思う。最後は膨れ上がって爆発するだろう。
でも岸田家は違っていた。
なんというか、めちゃくちゃあったかいし、笑いに溢れている。

別に他人と違っててもいいじゃん、健康なんだから。生きてるんだから。それがわたしたちのいつも通りなんだから。という考え方で日々過ごしているのだなぁというのが伝わってくる。

きっといろんな人に会ってきたんだと思う。誰かの善意に心から救われたこともあるだろうし、理不尽な出来事や心無い言葉に傷ついたこともあるだろうし、善意のふりしたおせっかいや悪意を感じたこともたくさんあるだろうなって思った。だから優しいんだなとも思った。

自分たちの軸がちゃんとしてないと振り回されてしまう。というのを肌で感じていたのではないかな。と思いながら読んだ。

ここまでが導入。長すぎる。
すでに愛がだだ漏れで自分も引いている。

『もうあかんわ日記』を読んで

『もうあかんわ日記』を手に取った時は、岸田家がもうあかんってなるって何事??と思っていたけれど、岸田家はお母さんの病気、入院に認知症のおばあちゃんを加えてさらなる窮地に立たされていた。
そりゃあかんわ。つらすぎる。

昨今認知症という病気がちまたでもたくさん聞かれるようになってきた。わたしも病院勤務のはしくれだったから実際に何人もの患者さんを見てきた。

認知症とひとくちに言ってもその症状はその人その人で違っているし、置かれた状況によってもまた一変する。

うちにも認知症のばあちゃんがいる。
コロナのせいで2年ぶりくらいに顔を見せに帰ったら、「なんか見たことあるけど誰だろう?」みたいな顔でまじまじと見つめられた。忘れられてた。
うちのばあちゃんは基本的に穏やかで置物のように座っている。時間や日にちは少しずつわからなくなっていて、孫を見せにくる兄嫁には毎回はじめましてとあいさつしている。
そんな穏やかなばあちゃんも、じいちゃんが入院している時は不安定だった。不穏な空気をバシバシと醸し出し、母と叔父が交代で様子をみていた。

認知症の悲しいところは、本人に悪気がないところだと思う。何もなりたくてなってるわけじゃない。忘れたくて忘れているわけじゃない。

そして助ける側に回った子どもたちも、誰よりも頼れる存在だった自分の親がどんどん姿を変えていくのを見なくちゃいけないのもつらい。受け入れられない人だっている。お金もかかるし時間もかかる。

でも、誰も悪くない。

ばあちゃんに悪気はない。タイムスリップしているだけだ。母のいない間、孫を預かっているからと、優しい責任感で突き動かされている。
もうあかんわ日記\岸田奈美

おばあちゃんの変化を目の当たりにした弟の良太くんにもよくない影響が出始めていると気づいた岸田さんは、家族を離すことを選ぶ。

この選択が出来る人は少ないと思う。みんなきっと、本当にどうしようもなくなってからやむなく選ぶ人の方がほとんどなんじゃないか。

お互いが幸せでいられる距離ってあると思う。いろんな人がいる世の中で、それぞれが自分が正しいと思う世界をみていて、見たいと思う世界を見ている。合わない人がいたり、合わなくなってしまうことがあったりするのも当然だと思う。
家族に限ったことではないし、家族だからって何が何でもそばにいる必要もないと思う。

お互いがお互いを尊重してあげられる距離感を大切にすること、これが人と関わる上で大切なんだと思わされた。
みんなが幸せでいるために、少し離れることも必要。
わたしもそういう選択が必要な時にちゃんとできる人間でありたいなぁと思った。コミュニケーションの真髄ってやつだ。

コミュニケーションについて考える中で、本の中でもうひとつ目を引いた文があった。

だからわたしたちは、気持ちを理解しようとする謙虚さは必要だけど、気持ちを理解できるという高慢さは捨てなければ。
もうあかんわ日記\岸田奈美

たくさんたくさん間違った方向に気を遣った言葉をかけられてきたからこそ思うことがあるんだなぁと思った。
ダウン症の弟さんの世話大変ねとか、えらいわねぇとか善意のような言葉をその人の思う世界観で語られ続けたんだろうな。相手に悪気がないからこそ傷つくこともたくさんあったはず。わかりあえないことに悩んだだろうなと勝手に推測する。

営業の仕事をしていると、ふとわたしのやってることは自分の良しとする価値観の押し付けなんじゃないかと怖くなることがある。
これが素晴らしいと思うのはわたしの考えであって、その人に伝えるのは間違っているのかなと、不安になる。

岸田さんの本を読んでみて、やっぱり押しつけるような伝え方はしたくないなぁと思った。だって誰もが自分の正しいと思う世界を見てる。

そこに「これが!!素晴らしいと思うのが普通ですよ!!!!それがわからないやつは頭がおかしいです!!!」なんて伝え方はしたくないなぁ。
そんなことしてるわたしの頭が一番おかしい。

わたしがやりたいのは、「こんな考え方があるよ」って伝えること。もし共感してもらえたらそれは素晴らしいこと。共感してもらえないとき、残念な気持ちになるけれどそれは相手にとっては最善なのだ。悲しいことではない。わかってもらえないことに一喜一憂しない。

ただ伝え続けようと思った。
きっと共感してくれる人が見つかる。

おわりに

自分の仕事の話で括ってしまったけれど、岸田さんの本にはいつも救われているから、みなさんにもぜひ読んでみてほしい。誰もが日常で感じたことのある小さなわだかまりさえも、笑いに変えてくれる。

トラブルとか挫折とか、不幸だなあと思う瞬間って悪くないかもしんない。あとから幸せを感じるための貯金と考えれば。
もうあかんわ日記\岸田奈美

たくさんのつらいこと、嫌なことの中で、幸せに向かうパワーをくれる本です。ぜひ読んでみてください。

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