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風の時代に象徴されるモノ

今頃になって、メルカリデビューをした。これまで断捨離は定期的に行ってきたが、リサイクルショップに持ち込まずに正規に出品していたら数百円でも買ってくれる方がいらっしゃったのかしら?なんて。少し残念にも思ったりしてます(笑)。

驚いたのは匿名同士で商品のやりとりができる点。昔のヤフオクでは個人情報オープン!で行っていたのに。もはや時代がオープンを好まない&許さないカンジなのでしょうか?

たったバーコードのひとつで発送準備が整ってしまい、コンビニから送れるシステム。お財布片手に出かけたのに、お金すら払わずに全てが済んでしまった。ただただ驚き(時代に遅れ気味)。

送る現物もあって。受け取る人もいる。でも行き先もしらないままに、ちゃーんとモノが届けられるし、お礼のメッセージもいただく。ここで初めて「あ、やっぱり取引も成立してるのだわ。受け取るヒトも存在してるのね」が確認できる。

わたしはモノとヒトを多少なりとも結ぶ役割を担っているけれど(もちろんメルカリさんあってこそ!)、わたしとしてはひたすら不思議な感覚だ。

キーワードは「流す」「非所有」

お金が現金主義からエアリーな扱いになってきているように。

モノも「所有してた誰か」から「必要とする誰か」のもとへと軽やかに流れていく時代になってきてるのだと感じる。

それに応じて私たちはモノをわざわざ所有しようと積極的に思わなくもなってきてる。どちらかというとモノがA地点からB地点へ移動してる、そんな認識に近いかも。

もともと、大いなる生命のプールなるものが存在してて(と仮定する)さまざまな種類の生命が生まれては消え、カタチを変えてはまた消え、を繰り返している。私たち人間もそんな大いなる流れの中を循環しながら生きていて。

それを経済の面から眺めてみるならば、誰かの欲しい、をカタチにする人、流通させる仕組みを作る人、そこから新たなサービスを生み出したいと願う人…と、そんなふうに誰かの幸せへの願いがベースになって商いって動いてる。

時代劇でよくみる「お主も悪よのう…」なあざとさ、いやらしさも混じりつつも、経済ってわたしたち人間のQOLを確実に進化向上させてくれる存在でもあるのだな、ありがとう。

そもそも、商品もサービスも(無形であっても)いただいた側の感謝のキモチとして支払われているのがお金であり、ねぎらいや感謝の気持ちでもある。

放たれたモノは誰かの手に渡り、渡ったところには喜びが生まれ、作った人には対価(お金)が生まれる。お金やモノ、感謝の渡り歩きの面から見てもやっぱり「循環」がキーになってくる。

川は流れているからこそ美しく、動きを止めて溜め込もうとするほどに澱み、腐る。わたしたちがゆたかに生きる秘訣は、流せるものは流して、溜め込まない、独り占めしない、ってことだ。

金は天下のまわりもの、とはよく言ったモノで、循環させてこそ本来のチカラを発揮するのだと信じてるし、そもそもこれが真理だな、と。

風の時代が問いかけるモノ

昨年の自粛期間中、わたしはよく近所の河原に足を運んだ。川の流れを追いかけていたものの、どの流れを捕まえようとしていたのかすぐにわからなくなってしまったものです。

掴めそうで掴めなくて。じっと見ててもどうにも埒があかないアノ感じ。

存在はわかっているんだけどね、みたいなもどかしさが、さっきのメルカリ発送の時のキモチと被るのですよ。へんな話だと思いますか?

風が吹いてるのはわかるけど、正体は見えず。

「風の時代」と聞くけれど、お金もモノも人の存在もホントはそれくらい曖昧模糊とした、あやふやなものなんだということをそろそろ実体験を持ってみんなも知ってみたら?

そんな風に大いなるモノから問いかけられてるような気になってるのはわたしだけでしょうか?

面白い時代に入ってきましたね。


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