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箒片手に想ふコト

「これは、学校を休みにしたほうがいいよね!!」顔は深刻そうなのに本心はニヤついている息子の顔を見て思わず吹き出す。緊急事態宣言が発令される方向、、とのニュースだけど学校関係は除外されるらしいよ、残念だったね。

散々年末年始をエンジョイしたのだから、そろそろ学業にカムバックしてみたらどうだろうと母は思う。

息子は学校へ。主人は会社へ。母さんは静まりかえった部屋を見て、お掃除をすることにした。

我が家は3人家族。ちょっと手狭な2LDK。掃除道具は「ホウキとちりとり」。今日はここに「雑巾」を加えて丁寧にお部屋と対話をしよう。

🧍‍♀️

私がお慕いしている心の師匠は「履く拭く磨く、靴を揃える、挨拶をする」を励行している。

どのくらいの範囲をどれくらい綺麗にしろとは言わない。ズバリ、やろうと思えばどこまでもやれるからだ。正解を示したいのではなく、ちょこっとでも毎日できる範囲でやっていこうねということ。思ってるだけじゃなくちゃんと行動で示していきなさいよ!そんな喝のはいったメッセージでもあると理解してる。恐らく、寺のお坊さんたちもそんな気持ちでお務めしてるんだろうな。

正直、掃除なんてするのが当たり前と思っていたけれど、人それぞれの「やってます」のレベルはかなり異なる。私の「やってます」なんて、誰かの「やってるよ」に比べたらお話にならないレベルかもしれないのだよな、とはたと思う。それでも「やり続ける」「キレイにしていく」を通して出会う心のあり方が、今の私の心の状態なんかも教えてくれる(ヤバっ)。だからやる。

で、やるんだけどキレイにしたつもりでいても、前回キレイにしたところが思っていたほどキレイになってないことに気付いてくる。掃除を細かくするほどに小さな点みたいな汚れが気になってくるって…。ストイックすぎる。高みに行くほど、まだまだじゃんって思わされることがあるのは掃除も心の状態もおんなじなのだわ、きびしー。

ところで、拭くと磨くってニュアンスは大きく異なる。例えばこぼしたモノを拭くのと、その後に磨き上げるのとでは全然ちがうものね。

床磨きは住まいを美しくするだけでなく、ザワっとした心をしんと鎮めてくれる。無心に体を動かしてる状態が心地よい。磨き終わりなんて、心が洗われたよう。何かがとどこおったままっていうのは不自然なことなんだと悟る。変化の波はちょっとでもいいから自分で起こすものなのだ。わたしにとっては床磨きや掃除、整理整頓は自分を整える最低限の手段。お金もかからないし、いつでもやりたいときにできるのがいいな。

暮らし方が一番反映されるのが部屋であり、住まいだ。いつもここから始める。ここから始まる。

掃除した後のお部屋はニコニコだ。キレイにしてくれてありがとう。いえいえ、こちらこそ住まわせていただいてありがとうございます。

窓越しのお空を穏やかに眺めたいられるのも数時間。息子によりあっという間に煎餅やポテチのカケラが落とされ、手についたケチャップをラグで拭きとられる(笑)。日々はめぐるがそのなんでもない繰り返しができることを幸せって言ってもいいと思う。誰かのために何かができるってステキなことだから。

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