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相反するキモチがあっても矛盾じゃない。

何かを書く、ということ。そこにはいつも「伝えたい」の気持ちがある。何かに向き合う、誰かと対峙する。そらしたくなる瞳の先には、本当はまっすぐに見つめたい何かがある。そんな気がする。

ちょうど一年前あたり。「しない」をしてみる、ということをしてみようと思った。目標、といっては変かもしれないし、なかなか万人には理解し難いことかもしれない。それくらい、「する」という自然的で自発的なことがわからなくなってしまっていた。

気持ちは「しない」をしたいのに、「する」をせずにいると人生がの歩みが止まってしまったかのように気持ちがソワソワする。イヤよイヤよもスキのうち、なんていうけれど。したいの?したくないの?どっちなの?白黒つけたがるところがまだまだ幼いね。

思うのだけど。「する」も「しない」も紙一重。ふと思い出す学生時代の思い出。テスト前に部屋を片付けたくなる、ということはなかったですか?目の前にやるべきことがあるのに、手を何かしら動かしてることで勉強をしてない罪悪感を和らげるという策。

狡い、と思う。けど、それをせずにはいられない。現実に向き合えない、向き合いたくないから、一時的に気持ちを逸らす対象を見つけずにはいられない、そんな弱さを堂々と抱え込み、演じられる強さ。人間って複雑。器用なようで不器用でもある。どっちやねん。

善悪。正誤。明暗。愛憎…いつもいつも両極端の間で揺れ動いてて、矛盾が皮膚の内側にこびりついてる感じ。イヤだ、気持ち悪い。

でも結局は自分が自分の中で起きてることを受け止められてないだけなのかもしれない。人はいつも最善を尽くして生きている。ただ、それをした先の結果を起こる前から気にしたり、起こった後に認めたくないという相反する気持ちにサンドイッチにされてるんだ。あぁ、パクリと食べてやりたい。

いや、案外かぶりついてしまえばいい。わたしがしたいと思ってたこと、したくないと思ってたこと。お互いを反対の目から見たら、したいはしたくないで、したくないはしたいだ。どっちでもいいじゃない。どんなサンドイッチも美味しくいただいちゃえばいいのよ。

そして、気づく。わたしは、この一連のモヤモヤした日々を過ごすことで人間のどうしようもなさをとことん味わいたかったんだなと。

こんな経験、ある人からしたらとるに足らない出来事かもしれない。もしかしたら生産性のないムダな時間ですらあったのかも。それでも、これがわたしの食べたかった味わいなのです。

どっちつかずの想いを抱えて当てもなく大海原を漂う拠り所のない不安。過ぎ去ってみればこの不安を乗り越えた自信が深い味わいにつながり、不安とみなしてた自分のちっぽけな眼差しは大きな海に優しく抱かれてたことを知る。身につけた自信だってまたいずれ大波にのまれるだろう。それでいいじゃないの。

大波小波。どんな波もやってくる。喜んでのまれたい。ごくりと、ひと飲みに。

施術中、ゆっくりと相手のからだに触れていると思い出すリズムがある。
行きつ、戻りつ。
動かす手の動きとともに、寄せては返す波を感じる。わたし、あなた、の関係性を超えて。海は大きいな。わたし、はどこまでもつながっている。果てもなく。ゆっくりくつろいでいってくださいな。

ゆらりゆらり。

波が寄せる、引く。こっちとむこう。手に入れることと手放すこと。いつも一定でなくていい。不安定に日々変化することこそが安定で自然なこと。

心配しないで大海原に身を委ねてみてほしい。もし今、何もしたくなくても。一歩も踏み出す元気がなくても。その裏側では好奇心が静かに渦巻いてることに耳を傾けてみてほしい。したくない、はしたい。したい、はしたくない。どっちに進んでもどちらかに辿り着く。だって地球はまるいんだもの。わたしが伝えたいのは、こんな無意味で意味深いことです。


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