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思考開示

意味のない一年だった。そう言いたくもなる。
得たものがなかったわけではない。オンラインツールの活用能力や映像能力の普及による知見や学びはもちろん、何気ない暮らしの有意義さなど今年の特異な状況がなければ得られなかったであろう経験は間違いなくある。だが生きている以上無駄な時間なんてものはない。相対的価値が大小あるなかで自分は自分を正当化するために自らの過去に大きな価値を見出そうとする。人生を生きやすくするための一つの方法だとは思う。だが特に発展させるつもりもない場所だからこそ述べるが今年一年は本来得られたであろう経験の期待値とは大きく乖離している。その差を考えるとやはり意味がなかったと言いたくもなるわけだ。


あくまで相対評価である。「意味がなかった」としたところで特に何が変わるわけでもない(だからこそ「意味がなかった」と言われることは少ないのだが)。言いたかったから言っただけ。失ったものばかり数えるのではなく残っているものを数える方が建設的なのでそうしていく。


この一年、特に時の流れが早まった3、4月以降で得たもの、わかりやすく「これを得た」というものはすぐには思いつかないが、抽象的に「性格」は変わった気がする。少なくとも去年以前時点での見通しからは。ざっくり言うと自分と他人の共通性の感覚が変わり、人と向き合う際の振る舞い方、考え方が変わったというイメージ。「他の人は違う」、「どう思われているかわからない」というスタンスだったのが、「自分が嬉しいことは他の人も同じように嬉しいかもしれないし自分が悲しいことは他の人も同じように悲しいかもしれない」というスタンスに。文にしてみるとたいしたことないように見えるし自分の感覚とずれがあるのもはっきりとわかるので言葉にするものではないなと思う。他人の評価の気にし方の質が上がったというと聞こえが悪いけどそんな感じ。1人で考える時間は確かに増えたがそれだけで変わったわけじゃない。人と会えない中でオンラインで話すこと、身近な人が感じている辛さを把握できないこと、自分がその資格をもてる関係性を作れていないと認識したこと、それは単に自分に問題があるのではと感じたこと、状況が落ち着いてきて人と会えることの不可欠さを感じたこと、そのあたりである。今の方が以前の「性格」より社会適合的な気がするからまあいいかなと思う。今年得たものが「性格」って聞こえいいし。


今年も終わる。また新しい「今年」がはじまる。
関わった「すべて」の人に感謝。ここ何年かは毎年思っているが今年は自分の中での重みが増した気がする。自分に少しでも意識を向けていただいた方、本当にありがとうございました。この2020年、大変救われました。
皆さん良いお年を。今後ともよろしくお願いいたします。
「明け」を祈って

P.S. 一貫性がなく、伝えたいことも明確でない文章を初投稿とするのは恐縮ですが「思考開示」というタイトルにすることで責任から逃れます


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