人生を遊びたおせ!
はいどうも、人生を社会を遊んでいるエンジョイジャーナルです。
今回は遊びについて書いていきます。
早速ですが、自分は遊びは世の中でもなくてはならないものと考えていますが、そういう意味では凶信者とも言えますね。
1何故、遊びが必要か
2社会の最終ゴール
3あとがき
1何故、遊びが必要か
そもそも、何故これを書いたかと言うと、自分の遊びの欲求がそうさせたというか本能がこれを書かせたとも言えますね。
そして、今の法律や文化は自由や遊びによって産まれたとも考えるとも言えるからです。
歴史を見てみると偉人達は最初からモテたいとか金欲しいとかじゃなくて、自分の論理を証明したいからとも言えるのでそういった意味では自由からそれも本人の独創的な思考から作られたとも考えられるのでとある意味では真面目に囚われない遊びの独創論理がそうさせたと。
つまり、人間は遊びの精神や思考から社会や経済を発展させて来た。そこに倫理や真面目さなんてものも遊びの方法から産まれた一つの定義でしかないので、「真面目に頑張れ」とか「人として正しい行動をしろ」なんてのは只々阿呆の遠吠えでしかないです。
こんな感じだけど、自分としてもようやく人生は遊びであると感づいたと。
であるからして次のテーマに行きます。
2社会の最終ゴール
文字通りにいくと、人間は社会の駒であり社会とは一つのゲームとも言えますね。
これとしては非常に単純で前に語った「世の中には善も悪もなく自分という都合の良い真実があるだけ」の通り、この社会は自分にとって都合の良い遊び場とも言える訳です。
しかし、社会というゲームには最終的なゴールがある訳ですが、これは稚拙になるけど、ゴールの景品が「自由」であるという事。
つまり、いかなる人も自由をかけて闘うデスゲームとも言えます。
人間はこうして考えると残虐や冷酷なんだなとは思いましたね。
3あとがき
今回は社会は遊びであると書きました。
自分としてもこの異常をはらんだ世界には立ち向かわないですね。
逃げるが勝ちという言葉もあるので。
闘争ではなく逃走を選び、遊びまくる。
いかに卑怯だろうが、汚かろうが自分としては遊び、食べ、眠り、逃げるなので
それでは失礼します。
逃走ガチ勢のエンジョイジャーナルでした。