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『カムカムエヴリバディ』のひなたと「銀行の前に犬がいます」

 朝ドラ『カムカムエヴリバディ』は、戦前に始まった英会話ラジオ、終戦後に復活した「カムカム英語」をずっと聞き続けて英語を学んだ安子、その娘のるい、さらにその娘ひなたの、母娘三代に亘る物語である。今はひなたがラジオ講座の文を繰り返して英語を勉強し、かなり話せるようになったところまで話が進んでいる。

 このひなたの勉強法は、日常会話にはとても有効だ。私は大学に入ってフランス語にハマり、学校では文法とフランス人の先生の会話表現中心の授業、それで足りない分は、テレビフランス語講座で勉強していた。毎月テキストを買い、放送を録画して見て、その後何度も繰り返し、文章を暗記する、という勉強法だった。文学作品を読むにはあまり役に立たないが、旅行をしたり普段の会話をしたりする分にはとても役立った。たとえばある時、予約したホテルにチェックインする際のやり取り、「私たち、二人用の部屋を一つ予約したんですが」(« Nous avons réservé une chambre pour deux personnes.»)というのを覚えた。2回生の終わりに初めてツアーでヨーロッパを旅行し、パリに立ち寄った際、同じツアーの大学生が「レストランで食事がしたい」と言ってきて、歳の近い私たちは一緒に行くことになった。そして、唯一フランス語のできる私が、なんと電話で予約することになったのである。その際、このホテル予約の文を思い出して、「部屋」を「夕食」に、「二人分」を「四人分」に変え、さらに過去形を依頼文に変えて« Je voudrais réserver le dîner pour quatre personnes. »と言ってみたら、見事に通じて予約できたのだ。この時は本当に嬉しかった。

 そこで思い出したのが、團伊玖磨さんのエッセイ、『パイプのけむり』の中のエピソードである。團さんの知り合いで、日本に何十年も住み、言葉に全く不自由しないご夫婦が、日本に来たときに最初に習った文が「銀行の前に犬がいます」だったそうだ。それが数十年後、近所の人から「知らない犬がトイレの前にいるんです」と助けを求められ、追い払う手伝いをしたそうなのだが、「銀行の前に犬がいます」から時を経て、「トイレの前に犬がいます」で、大昔に習った文が初めて役に立った!とご夫婦は大喜びしたらしい。「そんなもんなんだな、語学とは」というような文でこのエッセイは締めくくられていたと記憶している。私はフランスで、まさにこの経験をしたわけである。

 ところで、昨日の朝刊デジタル版に、英語及び英語教育の大御所である鳥飼玖美子さんが登場していた。鳥飼さんは、英会話本よりも、文学作品を読んだり、ドラマを見たり、映画を見たりすることを勧める、と語っておられる。これもわかる。先に書いたように、会話のテキストでは所詮日常会話しかできるようにならない。そして、日常会話というのはあまり難しい話をするのではない。インタビュアーは「英語の検定や資格試験はがんばっても、英語で話すことがない、という人が少なくない」と述べ、それに対して鳥飼さんは、「現行の学習指導要領では英語の『やりとり』を重視するから」と答えている。この発言にも拍手を送りたいところだ。だから私は大阪府のように、高校入試で、高校修了字の2級を取ったら入試の英語8割とかいうの、やめなさいよ、と思っているわけである。映画と言えば、私は映画好きで、大学生の頃は週に2本見に行っていた。そのときにフランス映画もたくさん見て、ますますフランス語にはまっていった。聞き取れた表現はノートにメモをして、言えるように練習する。ある時、登場人物が「私、恋人がいるから」と人を振るシーンがあったのだが、その表現が« J'ai quelqu`un. »というのだ。英語に直訳するなら« I have somebody. »だが、英語でこれが「恋人いるから」になるかどうかはわからない。多分ならないのではないかと思う。この言い方はちょっと面白く、早速帰ってメモをして覚えた。それから5年ばかりの時が過ぎ、なんと、留学中に一度だけ、この表現を使う機会があったのだ!(別に言い寄られたからではない。)この時、「チャーンス!」とこの文を言ってみたところ、相手は全く普通の反応だったので、「この表現は自然に使われるものだったのだ!」と感動した。

 というわけで、何が言いたいかというと、外国語は日々の積み重ね、ということと、基本的な文を覚えるのも大切だけれど、映画で表現を覚えるのは楽しいし、非常に役に立つ、ということである。

 


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