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『カーネーション』(第86話):「立ち直る」ということ

 『カーネーション』は人の傷も喪失も包み隠さず描く。戦争に行った夫が赤痢にかかって死に、女手一つで髪結店を営んで息子二人を育てた安岡のおばちゃんは、勘助が心を失くして帰ってきてから悩み続け、その勘助がようやくお菓子屋で働けるようになったところに糸子の出過ぎた励ましで、勘助の傷が抉られてしまったことから、糸子に「あんたの図太さは、毒や」という呪いのような言葉を投げつける。その後勘助も頼りになる泰蔵も失い、八重子さんに「死神連れてきた」とまで言う。再起を目指して八重子さんがパーマ機を買ってきても、機嫌を損ねて二階から降りてこなくなる。

 そんなふうに固くねじくれてしまったおばちゃんの暗い心を動かしたのが「おばちゃんだけが奈津を救えるんや」という糸子の言葉だった。ずっと二階で寝ていたおばちゃんが、久しぶりに外に出て奈津の元に向かう。そして奈津に向かって「しんどかったなあ、あんたも。たった一人で。辛かったなあ」と言葉をかける。これによって奈津の暗い心も少し溶かされる。

 数日後、お線香を上げにきた奈津に向かって、おばちゃんはいきなり「店の名前を変える」と切り出し、八重子さんに「糸ちゃんに仕事用の服作ってもらい」と言い、さらに「手伝うちゃってくれへんか、なっちゃん」と頼む。そして「表の世界には」と言いかけた奈津の唇をぴたりと閉じて、「金輪際言いない」と押しとどめ、「もう忘れ。忘れてな、先行こ」と呼びかける。

 このシーンのことを、2012年4月4日付けの朝日新聞で渡辺あやさんは次のように語る。

 「玉枝さんは自分自身の心の溝にはまって同じ軌道を回り続けていたのですが、糸子というすごく強い存在が突然やってきて『幼なじみを助けて!』と頭を下げる。そのことで、溝からちょっとずれた。するとあとは、その人自身の力で上向きになっていく。生きる力は元々その人の中にあるんです」

 当たり前のことだが、この時「忘れて先に行く」ことを決めたのはおばちゃん自身である。周囲がどれだけ大切にしても、本人が前を見なければ事態は変わらない。

 ここで考えたいのが、社会支援の問題である。私はどんな人でも困った状況に陥ることはある、と思っているので、「自己責任」という言葉が大嫌いだ。しかし、生活保護を受給しても、それをすぐに飲み代にしてしまい、次の支給日まで身を縮めて暮らす人がいる、とも聞いたことがある。つまり、要はその人が前を向くことを決めるか決めないか、なのだ。ソッポを向いている人にお金だけ与えても支援にはならない。

 結核病棟を描いた幸田文の『闘』の中に、本人がもう闘病の気力を失くしてしまい、「医者と病気が患者の身体を借りて闘っているようなものだ」と描写される箇所がある。どんなにいい腕の医師であっても、患者が前を向かなくては手の施しようがない。

 安岡のおばちゃんの人生の軌道は元に戻り、このあとまだまだ元気で生きることになる。もしもここでおばちゃんが「忘れて先行こ」と決めなければ、おばちゃんの人生はここで終わっていたかもしれない。選択一つで未来は大きく変わるのだ。


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