大学のオンライン授業について

 ほとんどの大学で前期が全てオンライン授業になり、後期も引き続き、というところも出始めている。これについて、「大学生だけが我慢している」、「ディズニーはOKなのに」などの嘆きがあり、また保護者の「娘に学びを返してやりたい」、「後期もこれなら授業料の返還を求める」という声もある。さらに、政治家の中に「大学はキャンパスから学生を締め出して学びの機会を奪った」だの、萩生田文科相の「対面とオンラインのハイブリッドをしようというのが普通の判断」だのの発言もあった。これについて、今回さまざまな折りにオンラインを駆使した身として言っておきたい。(以前、仮の立場として学習塾で数学を教える身、として同僚のことを書いたが、それと同じ立場と思って読んでいただきたい。)

 まず、小・中・高校がいち早く対面授業を再開したのは、オンライン授業ができなかったからだ。機材がなかったり、教員が対応できなかったり、「学校ごとに対応に差があっては不平等になる」と、一番下のラインに合わせて「しない」ことを選んだ学校がほとんどだった。もともと文科省はオンライン授業を授業数に認めないと言っていたが、もし全校がこれに対応できていたら、恐らく基準を変えたことだろう。正直なところ3月から5月までの休校は完全に無駄な期間だった。体育の課題にラジオ体操のプリントが配られ、「絵と説明文をまとめよう」とあったのには唖然としたし、他の教科の課題もあくまでも教科書に沿ったもので、「今俳句しますか」、「パワーポイントで各教科の要点をまとめて配布するくらいのこと、できませんか」、などと思った。その点、息子の塾はあっという間にIDを送ってきて、オンラインでの授業をしてくれたし、友人の息子さんが通う私立中学では、早くからzoomでの授業が行われていた。

 一方、大学にはICTのプロもいるし、研究者はこういうことには対応する人種である。よって、新学期の開始をやや遅らせつつも、講義に穴が開くことはなかった。ある意味「学ぶ機会」を守ったのである。記事を読むところ、この手の配信ができず、お粗末な講義しかできなかった人もいたようだが、それはその人の対応能力がお粗末だったから、としか言いようがない。我が学習塾メンバーでも、一向に対応できない人がいて、心の中で「この人不要」と思ったこともあった。そして、その人は対面だと授業がうまいのか、というと、これも微妙なところで、結局手段は何であれ、その人はその人なのではないか、という気がする。

 こうした措置に対し、大学生の不満は、授業に対してもあるだろうが、むしろ友だちづくりができない、サークル活動などの学生生活が満喫できない、という点に向けられているものが多かった。だから、ここは分けて考える必要がある。学生活動の満喫までは大学の責任ではない。新入生で友だちが作れない、というのは確かにもったいないけれど、それを「大学がキャンパスを閉めたからだ」と抗議するのは的外れではないかと思う。(そもそも、大学が勝手にキャンパスを閉めたわけではない。)地方から来る人も多いし、お酒を飲める年齢の人もいるので、一度誰かが感染したら、あっと言う間に広がる可能性がある。三月に京産大でクラスターが起こったことを忘れてはならない。あれは春休み期間だったからまだよかったかもしれないが、ヨーロッパ旅行から帰ってきてそのままサークル仲間と飲み会、感染が広がった上、その人たちが地方に移動したことでまた感染拡大、ということがあった。もう一つ、オンライン授業を怠慢だと見ている節が多いことにも驚きである。はっきり言って、オンラインの資料作成は対面時の何倍も手間がかかる。一度してみろと言いたい。

 後期からの対面授業に関して、Twitterでは「考え直して関西大学」と名指しで疑問を呈する大学生の声もあった。これに関しては、なぜ関大がこの時期にこうした決定をしたのか、もう少しくわしいことを聞いてみたい。また今回の事態については、大学がいち早く対応して学びを守ったにも拘らず、小・中・高の対応の方が今では評価され、大学いつまでオンラインやねん、という今の風潮には、ちょっと待て、と思う次第である。




 

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