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セカオワの新曲MVから考えたあれやこれやのこと

 セカオワの新曲、「umbrella」のMVが昨日発表された。(https://www.youtube.com/watch?v=cBa2PhtY198)
 Saoriさんのご夫君、池田大さんが監督をしたというこのMVは、20tの水を雨のように降らせたとのことで、とてもとてもいい。こんなに濡れて楽器は大丈夫なの?と心配になるくらいだが、もちろん対策はしているに決まっているので、野暮ったいことは言わない。umbrellaというタイトルにも拘らずMVに傘が一度も登場しないのは、この歌における「私」が傘で、「君」を守るために濡れる立場だからであろう。晴れると「私」は置き忘れられてしまうという切ない身なのだ。

 私はにわかセカオワファンなのだが、最近、あの平昌オリンピックの公式ソングにもなった「サザンカ」と中島みゆきの「ファイト!」の共通点に気づいた。それはどちらも「笑われる方が主人公である」ということだ。「ファイト!」には「闘う君の歌を闘わない奴等が笑うだろう」という歌詞がある。ここで言われる「闘わない奴ら」とは、多分1987年のコンサートツアーSUPPINのパンフレットに記される「失敗と成功の境界線を引くレフェリー気取りの奴」の位置に身を置く人のことだろう。そして「サザンカ」では「いつだって物語の主人公は笑われる方だ 人を笑う方じゃない と僕は思うんだよ」と歌われる。ここで断定せず「と僕は思う」とつけ足すのが、個人的には、いいね!いいね!と思われるところである。結局、一生懸命ということを冷笑する「シニカルな人」は傷つかないかもしれないが、自身は何も生み出すことはできないのだ。


 ところでSaoriさんは日経にエッセイを書いており、そのうちの一つが今回つらつら考えることとフィットする内容だったので紹介しておきたい。
(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49359820T00C19A9FBB000/)
「焼きたてのパン」と題されたこのエッセイでは、かつて不眠症に苦しみつつ、朝になるとパン屋のバイトに行っていた頃のことが綴られている。ここではアルバイトの古株である女性が、若き日のSaoriちゃんにパンを味見させてくれる。そしてSaoriちゃんは涙を流しながらそのパンを食べるのだ。このエッセイは、次の一節でしめくくられる。

本当は眠れなくて、立っているのすら必死の日々が続いていることがやるせなかった。まわりの人たちのように前に進めない自分が許せなかった。何も上手(うま)くいっていないのに、それでも誰かに貴方(あなた)は充分(じゅうぶん)頑張っていると言われたかった。そんな思いが、パンを食べた途端に溢(あふ)れ出してきた。
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味は分からない」
ゲーテがそんなことを言ったという。私に人生の味が分かっているかはさておき、涙とともに食べたあのパンの味は、いまだに忘れることがない。


「シニカルな人」の対極に存在するのは、こういうふうに「前に進めない自分が許せな」い人であり、「闘う君」であり、それはまた「物語の主人公」でもあり、「笑われる方」の人であり、つまりは「涙とともにパンを食べた者」なのだろう。

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