若者を指導するということ(その3)

 やっと決着がついたので、まとめておく。

 しつこいようだが概要を説明することから始めたい。状況をそのまま書くわけにはいかないので、編集者と漫画家、という設定にしている。漫画家の卵ちゃんの作品を見守る編集者AとBがいて、Aは卵ちゃん専属、Bは最終評価に関わってくる人、という状況である。仮完成の段階で、Bは作品をメッタ斬りにしたのだが、Aはその意見に全く納得していない。卵ちゃんの作品はちゃんとしている、と思っているからだ。それでもとりあえず、卵ちゃんは描き直し期間に入っていた、というところまでが前回の話である。

 先日、この1カ月の描き直し期間が終わり、最終稿が提出された。それに対するBさんのコメントが来た。「短期間で指摘した点をよく改善し、期待以上のいい作品になっている」という賞賛である。まずはめでたい。

 ただし、このコメントを聞いた時のAさん、すなわち私の感想は、次のようなものだ。

1)「指摘した点を改善」というほど、具体的な指摘をしていただろうか。一つのエピソードをまるまる「これは要らない」などと言ったけれど、それはもちろん残っているし、他にも色々いちゃもんをつけていたが、そこは「直す必要なし」と卵ちゃんとAさんとで確認済みである。

2)「期待以上の」は余分だ。もともとBさんは卵ちゃんの才能を見抜いていないだけで、この人はちゃんとした漫画が描ける人である。

 というわけで、私なら絶対にしないような物言いをこの人はするのだが、それは「自分の知らないことは卵ちゃんからは来ない」と見くびっているがゆえだろうなと思う。ここで言う「知らないこと」というのは、単に知識の問題なのではない。孫悟空が、えらく遠くまできた、と思って得意げにしていたら、それは実はお釈迦様の手の平の上に過ぎなかった、というエピソードがあるが、あんな感じである(言わずもがなのことであるが、お釈迦様がBさん、孫悟空が卵ちゃん)。エセお釈迦様のBさんは、「孫悟空が届くのは、せいぜい薬指まで」と思っている。だから小指まで行くと、「期待以上」などと言ってしまうのだ。

 1カ月前、私は卵ちゃんに「目にもの見せたり!」と言った。今回の完成作品は恐らくそこに届いたはずだ。ざまあ見ろという表現は下品なので嫌いなのだが、まあ「あんまり人を見くびるもんやありませんで」ということと「最初の作品評がずれてたんとちゃいますか」ということはこっそり思っておく。

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