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虐待と私

noteを始めたいと思ったのはこれをまとめたいからでした。
人目に晒す事でどうなるかはわからないし、私みたいな底辺の日記など読む人はほとんどいないでしょうけどね。どうしても文章として残しておきたかったのです。

私は物心がつく前からイトコに性的虐待を受けていました。
私の最初の記憶は押し入れで体を舐められている記憶です。

幸い?住んでいる県が別なので夏と冬にしか会いませんでしたが、毎回とても恐怖でした。

私の親戚の家はとても広く、部屋も15個くらいあり、敷地内に習字部屋という2階建ての別の建物、ログハウス、バスケットボールができるスペース、車は10台ほど置けました。
習字部屋というのは、おばあちゃんが習字の先生だったので作った建物で、1階は物置になっています。

イトコの部屋、イトコの親の部屋、みんながいるリビング、その隣の部屋、色んなところで虐待を受けていました。エスカレートして、みんなが入ってるコタツで体を触られていた事もあります。
中でも怖かったのが習字部屋で、中から鍵で閉められるようになっていました。2階なので窓から出ることも出来ず、結局されるがままです。

小5の夏休み、何故か2週間ほど親戚の家に預けられる事になりました。嫌な予感しかしませんでした。
いつもリビングとして使っているところで子供達(私、イトコ、兄、イトコ兄)で寝たらどうか?と言われ愕然としました。
私はイトコの隣で寝るのは死んでも嫌だったのですが、兄とイトコ兄は仲が良かったため、俺達はテレビ側で寝るからと、私は結局イトコと隣で寝る羽目になりました。

夜、さっさと寝てしまいたかったのですが、兄とイトコ兄はお風呂に一緒に入るという事で部屋を後にしました。
それからはみなさんの想像通りです。
私はそこで処女をなくしました。
途中から記憶がありません。
朝も体を触られたり、キスされたりして起こされるため地獄の2週間でした。

生理が来たのが6年生の8月。
もちろんそのあとも中学卒業くらいまで虐待は続き、ゴムなど使ってくれなかったので、いつ妊娠するかヒヤヒヤでした。
でも妊娠したらしたで、アイツの悪事がバレるならしてもいいと思っていました。

性液を飲まされる時、いつもダンスミュージックみたいなものがかかっていたり、臭い消しのためにいつもグレープフルーツのジュースを飲まされていたため、その2つは未だに苦手です。

あと、1度おばあちゃんに見られた事があるので、私はその時助かったと思ってしまいました。
おばあちゃんはイトコが大好きなので、見なかったフリをしました。
あの時からおばあちゃんも大嫌いでした。
最近亡くなったんですが、お盆にも行きませんでした。

イトコは外面がとても良い人でした。
学校では生徒会長をやり、可愛い彼女もいて、今は親の仕事を継いで不動産の社長をしています。
私の前だけでは中学時代からタバコを吸っていましたし、そんな所も嫌いでした。
今は子供も2人でき、上の子は女の子で中学3年生です。


中学卒業を境にパッタリと虐待は無くなったのですが、やはり親戚の家は苦手でした。
18歳くらいになり、私はダイエットに成功して、調子に乗ってセクシーな格好ばっかりしていたのですが、今度はイトコ兄が手を出して来ました。
最後まではしませんでしたけどね。
あの兄弟は悪魔か何かです。
最近兄の方には謝られたのですが、ゆるす気は到底ありません。
私は長い間トラウマと戦っているのに、どうして一言謝ればすむと思っているんでしょうね。

今幸せに暮らしているイトコたちがいつか不幸になって欲しいのです。
そんな事を考えているから私は幸せになれないのでしょうね。

でも前の親族間であった時に娘のラインを聞いてしまいました。
いつかバラしてやるのが小さい夢です。
誰も幸せにならない、私の自己満の夢。
叶えるか叶えないかは私が決められるのです。
それが今の心の支えです。


もし今虐待を受けている25歳以下の人は考えてください。
幼少期の性的虐待は25歳までは訴えられるようです。
私が調べたのはもうずっと昔の話なので今は法律が変わっているかもしれないですね。
私は24歳の時にそれを知ったのですが勇気がありませんでした。
イトコの結婚式で暴露する夢も見ていましたが、式はしませんでしたので実行できませんでした。

虐待を受ける人が少しでも減ることを望んでいます。

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