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Green Talk 91 : そこにあるもの

先日、素敵なお花屋さんからお譲りいただいた夫のお父さんの誕生日のお花。届きました。お父さんから連絡がありました。

そして、嬉しいことはそれだけではなくて。こちらで書いたお花屋さん。
郵送連絡のやり取りに1行だけ。夫の父のお誕生日なんですと書いたんですが。

届いたお花、どのお花も、花言葉が本当に父に対するお祝いが込められていて。究極の愛。永遠の幸福。感謝。1つ1つに、です。

お譲りくださったお花屋さんは全く何にもおっしゃらないです。
ただ、送られてきたお花があまりに素敵で、且つみたことのないものが多かったので、名前を知りたくて調べてみたらなんです。
ゴールドスティックというお花だったり、ホワイトレースフラワーというお花だったり。

ぐっと、きてしまいました。
そして、素直にこの方にお願いしたいと自分が感じたことは、私らしい選択だったなと。


今は、家にずっといる状態で。
3つのことを感じる機会になってるなと私は思っています。

ああ、あれがあってよかった、日常って色々揃ってて本当にいいものだったのねということと。
ああ、もうなんかこんなだったの!これって、この人って!こんなの見たくなかったのに、なんていうことと。
もうよく分からない何が正しいか分からない、ということと。

ある方が最初のことを感謝や喜び、二番目を憤りや怒り、三番目を訳のわからないものに対する不安や恐怖、とおっしゃっていました。

今回、お花のことがあって、その感じること=心が動くことはあって欲しいと思っています。人生の素晴らしいギフト。
たとえ、それが上記の3つともが存在することになってもです。

そして、それぞれに対して、私なりの対処ルールあるのですが、根底はこの気持ちです。私のマントラ のような詩。

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ニーバーの祈り
神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
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実は、どんな日々であっても。
感謝とも、憤りや怒りとも、不安とも、同居していますよ、ね。
ただ、今は環境の要因がそれを拡大したり目が逸らすのが難しくなっているようで。

そして、これはまたGreen Talkと何関係するのかい?という話になってしまいましたが。実はつながっていて。

社会や環境に”私が”良いといいなとおもい、やっていることは。
勇気を持って変えられることと、変えられないこと/変えられない状況や人も出てくるということと、多分それさえも判断できないことも存在していて。でもそれらを通していろんな感情を感じながらも、知恵を持って私は選べる存在だということは忘れずにいようとしています。

なにより、いつも通りそのやり方は、私が心地よい=楽しいとか美味しいとかにがっつり足を突っ込んで笑。

今日のお昼も。
昨日食べたマグロのお刺身の残りを漬けにして。ごまと大葉とミョウガとスターバックスコーヒーのカップで再度伸ばした笑小葱を酢飯にあえて。海苔を散らして。1束だけ残っていた小松菜は、卵に溶いてゆっくりお吸い物の中に浮かべて。
美味しく美味しく、全て、頂きました。