見出し画像

Green Talk 82 : どこまでの範囲で

まだ何日かですが、自宅が多くの役割を持つようになってきました。
数十分かけて通勤の往復をしたり。購入したついでにカフェに寄って本を読んだり。そういうものがなくなる、または、家で行われることになりました。

家で仕事となったときに初めて会社のデスクや椅子など環境が整っていると知ったりもしました。
そう。まだまだ、慣れない日々です。

最近、誰とも話さない何も触らないという前提で、夜散歩を開始しました。それでも我が家は、食が少し細くなってきつつあります。

その反対に、ああこれが食べたい/飲みたい思うものもついに出てきました。
夫が、スターバックスのコーヒーが久々に飲みたい!と。ボトルを持って歩いて3分の場所にある店舗に人混みを避けて伺いました。
自宅で、ダルゴナコーヒーを作ってみたり色々したのですが。それらの味がダメだと言うことではないそう。
”いつも”がないことによる”いつも”に対する素直な反応が出た気がします。こういうことは大事にしてあげたい見えない声。

約1ヶ月ぶりに伺ったので、今回初めて知ったのですが、マイボトルは利用できないんですね。公式にきちんとお知らせがありました。

この重要なお知らせを見ながら。
このオペレーション変更を考える範囲が、”お客様”と”パートナー(従業員)”という言葉に、まさにだなと思っています。

タンブラーが使えない、は、”私”を主語に考えるとそれだけのこと。むしろ、すぐに氷が溶けてしまうなどの嫌なことなどに目がいくかもしれませんが。
ですが、タンブラー利用による何か起きた場合の影響範囲が、お客様=私を含む誰かと、パートナーさんにおよぶということと。その範囲全員が、恐怖ではなく安心に利用するためのオペレーションであるということ。

帰りに夫が、「本当に、主語が、”私”だけではいけない時期。そして、その視点は日頃から必要。」とぼそっと言っていました。
そうだね、そして、今は、健康の方がプライオリティが上がっている時期。みんなで乗り越えたいからね、と。

「じゃ、このプラカップにもう1回何か役割を与えてよ!」と言われました笑。せっかく家にきてもらうんだから、我が家でももう一役を。

今の状況でも、社会や環境に良いことは選べます。
久々に見た緑色のセイレーンに少しだけ家にいていただこう。
どうやっていてもらおうか、今、考えています。