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「私の強運」ーある老人の人生録(軍隊時代)

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92歳で亡くなった祖父の自分史ー題して「私の強運」。熊本に生まれ17歳で満州へ。果ては樺太にまで渡ったその道程や如何。
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記事一覧

ある老人の人生録―詳細編⑤

ある老人の人生録―詳細編⑤

※「ある老人の人生録―『私の強運』詳細編④」の続編です。
※一部読みにくい箇所もありますが、原文に忠実にしています。
※判読不能な箇所は「?」と表記しています。
※祖父の記憶違い、私の誤読による間違いはご容赦ください。

昭和20年8月〜63年11月10日(23才〜66才:千葉〜熊本)

 そうこうして一か月くらいしたら(八月上旬)新大迫撃砲が出来たので、千葉県四街道の陸軍砲兵学校へ研修を命ぜられ

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ある老人の人生録―「私の強運④」

ある老人の人生録―「私の強運④」

※「ある老人の人生録―『私の強運』詳細編③」の続編です。
※一部読みにくい箇所もありますが、原文に忠実にしています。
※判読不能な箇所は「?」と表記しています。
※祖父の記憶違い、私の誤読による間違いはご容赦ください。

昭和20年6月25日〜7月(23歳:樺太〜熊本)

第四運 ここで第四の強運が来た。二十年六月二十五日、突然久留米師団管区第三補充部隊付に転属命令が来て、西部軍司令部出頭を命ぜら

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ある老人の人生録―「私の強運」詳細編③

ある老人の人生録―「私の強運」詳細編③

※「ある老人の人生録―『私の強運』詳細編②」の続編です。
※一部読みにくい箇所もありますが、原文に忠実にしています。
※判読不能な箇所は「?」と表記しています。
※祖父の記憶違い、私の誤読による間違いはご容赦ください。

昭和20年1月5日〜6月(22〜23才:樺太時代)

 四ヶ月後の二十年一月五日、上敷香より南二十?にある敷香町の樺太衛生隊に兵科将校として転属になった。これが私の南へ南へと行っ

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ある老人の人生録―「私の強運」詳細編②

ある老人の人生録―「私の強運」詳細編②

※「ある老人の人生録―『私の強運』詳細編①」の続編です。
※一部読みにくい箇所もありますが、原文に忠実にしています。
※判読不能な箇所は「?」と表記しています。
※祖父の記憶違い、私の誤読による間違いはご容赦ください。

昭和19年2月19日〜19年8月22日(21才〜22才:前橋・樺太時代)

 二月十九日第一の幸運が起こる。遼陽の原隊が戦況により、南方派遣でグアム島へ移駐し、士官学校中隊長より

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ある老人の人生録 ―「私の強運」詳細編①

ある老人の人生録 ―「私の強運」詳細編①

※「ある老人の人生録」―「私の強運」経歴編の続編です。
※一部読みにくい箇所もありますが、原文に忠実にしています。

昭和17年12月15日〜19年2月11日(20才〜21才)

 昭和十七年十二月十五日甲種合格の現役兵として、現中共東北地方(旧満州国)遼陽市に駐屯していた関東軍満州五七四部隊(京都歩兵第三八連隊)歩兵砲大隊連隊砲中隊(椋本隊)に陸軍二等兵として入営した。
 
 毎夜毎夜ビンタビン

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ある老人の人生録 ―「私の強運」経歴編

ある老人の人生録 ―「私の強運」経歴編

先日、祖父が92歳で亡くなった。遺品の中から見つかったのは、便箋30枚に及ぶ自分史。題して「私の強運」。大正11年 熊本に生まれ、17歳で満州へ。果ては樺太へ渡った祖父の青年時代とは?「強運」とはこれいかに―

※文字が読みにくかったのでタイプしました。せっかくなので共有します。
※一応個人情報保護のため一部ぼやかしたり中略したりしています。
※判読不能な箇所は「?」と記載しています。
※祖父の記

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