Nao Kimura

フリーランス。美学校でスタッフを務めながら個人で取材・企画などを行う。2015年、東京…

Nao Kimura

フリーランス。美学校でスタッフを務めながら個人で取材・企画などを行う。2015年、東京で「わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展」を開催。ほか司会、裏方など幅広くやっています。noteは数年前の記事が中心。https://kimuranao.tumblr.com/

マガジン

  • 「私の強運」ーある老人の人生録(軍隊時代)

    92歳で亡くなった祖父の自分史ー題して「私の強運」。熊本に生まれ17歳で満州へ。果ては樺太にまで渡ったその道程や如何。

  • ごみ探訪記

    清掃工場、最終処分場などのごみにまつわる探訪記

最近の記事

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ごみ探訪記②―横浜市南本牧最終処分場

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      ごみ探訪記①―横浜市資源循環局 都筑工場

      • ある老人の人生録―詳細編⑤

        ※「ある老人の人生録―『私の強運』詳細編④」の続編です。 ※一部読みにくい箇所もありますが、原文に忠実にしています。 ※判読不能な箇所は「?」と表記しています。 ※祖父の記憶違い、私の誤読による間違いはご容赦ください。 昭和20年8月〜63年11月10日(23才〜66才:千葉〜熊本)  そうこうして一か月くらいしたら(八月上旬)新大迫撃砲が出来たので、千葉県四街道の陸軍砲兵学校へ研修を命ぜられ、直ちに向かったが、千葉市で交通の便が空襲で全くなく、やっと軍のトラックを止め、

        • ある老人の人生録―「私の強運④」

          ※「ある老人の人生録―『私の強運』詳細編③」の続編です。 ※一部読みにくい箇所もありますが、原文に忠実にしています。 ※判読不能な箇所は「?」と表記しています。 ※祖父の記憶違い、私の誤読による間違いはご容赦ください。 昭和20年6月25日〜7月(23歳:樺太〜熊本) 第四運 ここで第四の強運が来た。二十年六月二十五日、突然久留米師団管区第三補充部隊付に転属命令が来て、西部軍司令部出頭を命ぜられた。中隊長が三角兵舎内で全員で送別会を開いてくれたのには驚いたが、私は挨拶で、

        ごみ探訪記②―横浜市南本牧最終処分場

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        マガジン

        • 「私の強運」ーある老人の人生録(軍隊時代)
          6本
        • ごみ探訪記
          2本

        記事

          ある老人の人生録―「私の強運」詳細編③

          ※「ある老人の人生録―『私の強運』詳細編②」の続編です。 ※一部読みにくい箇所もありますが、原文に忠実にしています。 ※判読不能な箇所は「?」と表記しています。 ※祖父の記憶違い、私の誤読による間違いはご容赦ください。 昭和20年1月5日〜6月(22〜23才:樺太時代)  四ヶ月後の二十年一月五日、上敷香より南二十?にある敷香町の樺太衛生隊に兵科将校として転属になった。これが私の南へ南へと行って助かった一歩だったかもしれない。隊長以外は軍医薬剤、経理の将校で、私の任務は部

          ある老人の人生録―「私の強運」詳細編③

          ある老人の人生録―「私の強運」詳細編②

          ※「ある老人の人生録―『私の強運』詳細編①」の続編です。 ※一部読みにくい箇所もありますが、原文に忠実にしています。 ※判読不能な箇所は「?」と表記しています。 ※祖父の記憶違い、私の誤読による間違いはご容赦ください。 昭和19年2月19日〜19年8月22日(21才〜22才:前橋・樺太時代)  二月十九日第一の幸運が起こる。遼陽の原隊が戦況により、南方派遣でグアム島へ移駐し、士官学校中隊長よりI君と二人、書類上のみで満州東北ムーリンの歩兵十九連隊へ転属命令を受けた。その部

          ある老人の人生録―「私の強運」詳細編②

          ある老人の人生録 ―「私の強運」詳細編①

          ※「ある老人の人生録」―「私の強運」経歴編の続編です。 ※一部読みにくい箇所もありますが、原文に忠実にしています。 昭和17年12月15日〜19年2月11日(20才〜21才)  昭和十七年十二月十五日甲種合格の現役兵として、現中共東北地方(旧満州国)遼陽市に駐屯していた関東軍満州五七四部隊(京都歩兵第三八連隊)歩兵砲大隊連隊砲中隊(椋本隊)に陸軍二等兵として入営した。    毎夜毎夜ビンタビンタの連続(身長も高く、中学校卒で幹部候補生志願する人間かもしれないという古兵のね

          ある老人の人生録 ―「私の強運」詳細編①

          ある老人の人生録 ―「私の強運」経歴編

          先日、祖父が92歳で亡くなった。遺品の中から見つかったのは、便箋30枚に及ぶ自分史。題して「私の強運」。大正11年 熊本に生まれ、17歳で満州へ。果ては樺太へ渡った祖父の青年時代とは?「強運」とはこれいかに― ※文字が読みにくかったのでタイプしました。せっかくなので共有します。 ※一応個人情報保護のため一部ぼやかしたり中略したりしています。 ※判読不能な箇所は「?」と記載しています。 ※祖父の記憶違い、私の誤読による間違いはご容赦ください。 出生〜終戦 大正 11年3月

          ある老人の人生録 ―「私の強運」経歴編

          福島第一原発「20km圏内ツアー」に参加してきました。

          2014年4月30日(水)、NPO法人野馬土が主催する福島第一原発「20km圏内ツアー」に参加してきました。 ツアーといってもツアー日程が組まれているわけではなく、希望日時を伝えて先方と調整して日時が決定、という感じ。というわけで参加者も私ひとり。 昨年は約2000名、今年はすでに700名ほど案内しているそうです。 その他ツアーや野馬土の詳細はこちら↓ http://www.projetnomado.com/index.html (ツアー出発地の野馬土。写真右からカフェ

          福島第一原発「20km圏内ツアー」に参加してきました。