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ラジオ人生を振り返る。最初にハマった「伊集院光のOh!デカナイト」の時は中二病真っただ中で妬みと嫉みの化身だったなぁ。

趣味の1つとして“ラジオを聴くこと”があります。
人生でしみじみ幸せを感じるのが、“エクレアをココアで流し込みつつ好きなRPGのレベル上げをやりながら好きなラジオを聴いていて膝の上に猫が乗っている”時です。
最高。

人生で初めて能動的にラジオを習慣的に聴いたのが「伊集院光のOh!デカナイト」でした。

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今でも中学20年生くらいの感じで生きている永遠中二病の自分ですが、当時中学生だった心をがっつり鷲掴まれてました。
今思い返すと、3軍男子として1軍2軍をひねくれて見つめつつ、女子との会話は業務的連絡以外は皆無という文系根暗オタクまっしぐらな暗黒時代でした。
と思いつつもマイノリティなオタク的価値を共有できるともだちもいたし、それなりに楽しんでましたね。そんなともだちの1人がリスナーで、影響されて聴き始めたんです。

ちなみに、中二病という言葉は伊集院さんが作った言葉です。ボキャブラリーのセンスがやっぱりすごい。

伊集院さんのフリートークはラジオ好きならいわずもがな、どんな出来事でもエンタメにしてしまう突出した話術は当時から楽しかったのですが、コーナーも楽しかった!
ラジオのコーナーは、リスナーとパーソナリティが一体となって番組を盛り上げていくラジオの楽しみ、醍醐味が詰まっていると思いますが、Oh!デカはいっとき宗教的に盛り上がってました。

今でも覚えてるのが“マドモワゼル詐欺の八百発八百中占い”。適当な予言をリスナーの力で実現しようという内容で、ある時リスナーが一丸となって実現させたことが衝撃でした。当時放送されてた説明不要のテレビ番組「笑っていいとも!」のテレフォンショッキング(トークゲストが次のゲストを電話で呼んでつないでいくというコーナー)で、出演者には電報が届いてそれを冒頭でタモリさんが読んでトークしていく、というのがありました。ある日、来週の月曜のテレフォンショッキングのゲスト宛電報が急増するという占いをしたところ、本田博太郎さんがゲストの際に電話帳4冊分の電報が局に届いて騒ぎになる、ということがありました。電報、お金かかりますからね。当時のリスナーの熱狂度の凄さの一端がわかります。
本田博太郎さんの娘さんがリスナーだった為に本人にも伝わってしまい、後にゲスト出演されて本田さんを神のごとく褒め称える放送回が設けられてました。
本田さんの洒落のわかる度量の広さがとてもステキだと思いましたよ。
当時、時代の流行に背を向けよりニッチでマニアっぽい映画や音楽、漫画や本を嗜むことで自分は他の人と違う自分は誰にも理解されないのだ、というウンコな時期だったので、岡本喜八監督作品なんかも観てたので、本田さんも好きだったのでより好きになりました。写真が映画『北京原人』の芝居も素晴らしかった本田博太郎さんです。

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今では絶対にコンプラNGの“尾行マン”なんてのもありました。アナウンサーとディレクターが街で見かけた女性を勝手に家まで尾行する模様を実況するというものでした。音声から女性像を想像するドキドキ感と、当時でもこれヤバくね?と感じるくらい背徳感のある内容が辛抱たまりませんでした。今なら(というか当時も)アウトですね。

他にもリスナー参加型のクイズ対決コーナーで、開催したイベントでは西武球場や神宮球場を満員にした“ザ・ベースボールクイズ”や「アメリカ横断ウルトラクイズ」のパロディ“荒川線横断ウルトラクイズ“や「クイズ年の差なんて」のパロディ“クイズ個人差なんて”とか当時の人気テレビのパロディも面白かったなぁ。

伊集院さんは、当時の三遊亭楽太郎(現:六代目三遊亭円楽)さんの弟子として落語家を志してたのですが、ラジオの道に進んで頂きて本当に良かったです。その後の伊集院さんの番組から受けた影響を考えると命の恩人と言っても過言ではありません。30年近く毎週楽しみにできる番組があるってリスナー冥利につきると思ってます。伊集院さんありがとうございます。

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Oh!デカのリスナーだったと公言しているのがオードリーの春日さんです。
春日さんを見るとなんか親近感を感じるのは、今の自分が「オードリーのオールナイトニッポン」のリスナーであるリトルトゥースであるからということの他に、同じ価値観を昔から共有してたんだというのがあると思います。

思い出のラジオを今後もたまに思い出してこうと思います。
今もたくさんラジオ聴いてますし、好きなラジオいっぱいあるからなー。
いやー、ラジオって本当にいいものですよ!

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