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ミセス マーガレット・ナムテテの思い出

今日は2021年7月18日です。丁度一か月前の6月18日、ウガンダ時間の午前6時半に義母が80歳で他界しました。80歳の誕生日を迎えてから、1週間後でした。義父が93歳で2019年10月に亡くなってから1年半後でした。男性より女性の方が長生きすると、なんとなく根拠も無く思っていましたので、あと10年は義母が生きていると信じていました。毎年一度ウガンダに行く事ができれば、少なくともあと10回はギューッとハグして貰えると思っていたので、なんの覚悟もできていなくて、喪失感でいっぱいです。ウガンダもCovid19の感染が急激に深刻化して、丁度義母の亡くなった日から厳しいロックダウンが始まりました。葬儀に参列する為に帰国する事もできない夫が、一番可哀そうでした。夫もですけど、ウガンダの兄弟姉妹達も電話しても泣いてしまうので、まともに話す事もできず、皆どうなってしまうのか心配でした。一月経って、義母のお墓が完成して、夫は大分気持ちが落ち着いた様です。お墓を建てるお金をどうするかという現実的な目の前の話題で、ウガンダの兄弟達とたくさん連絡を取る必要があって、それでお互いに気持ちが紛れたのではないでしょうか。

義父の時にもそうでしたが、義母が亡くなると、どうしてもっとたくさんお話を聞かなかったのか、悔やんでいます。夫の子供の頃の話とか、独立前のウガンダの話とか、16歳で結婚してどうだったのかとか、聞きたかった事がたくさんあったのに、言葉の壁があっていつも挨拶しかできなかった事が悔やまれます。そんな気持ちを義姉のクリスティンに伝えたところ、義母が日記を書いていた事を教えてくれました。いつ誰が訪ねて来て、どんなギフトを貰ったという様な事が全て記されているそうです。例えば・・・

「2020年2月9日ナントンゴが来て、義父の墓に花を供えに行った」

「2019年9月1日カウェレ(夫)が送ったお金でトイレの建設を始めた。」

クリスティンは、私達が登場する箇所をもっと探して、スキャンしてくれると言います。義母の生活に関われた思い出を消えない形にして貰えるなんて有難い事です。クリスティンは、ふとした瞬間に悲しくなって泣いてしまうというので、忙しくしてもらった方がよさそうです。是非、日記をたくさん送ってくださいとお願いしました。

そのお願いに応えて、新聞記事の写真を送ってくれました。

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2007年11月27日のNewvisionの記事だそうです。金婚式の記念に投稿した内容が採用されて取材があったのだと思われます。若い頃の義父母のうっとりするような結婚写真や、1983年の家族写真には、13歳(より幼く見える)の夫が前列左に写っています。記事には、義父の仕事の話とか、二人の馴れ初めとか、初耳の話が満載です。「交際6ヵ月で結婚を決めた時、16歳のマーガレットはバラの花のような美しさだった」と当時80歳の義父が語っていた様子を思い浮かべると幸せな気持ちになります。親族の墓地で、義父と義母は隣同士、安らかに眠っている事でしょう。

記事の詳しい内容は、また後日紹介させていただきたいです。クリスティンは、お母さんのバイオグラフィをまとめると言い、下書きの一部が既に送られて来ています。遅すぎではありますが、「being late is better than never」です。これから義母、ミセス マーガレット・ナムテテのストーリーにたくさん触れられそうで、楽しみです。

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