見出し画像

1/20『宮沢賢治の真実』での発見

おはようございます。
糸島は雨、薪ストーブを焚くほどの冷え込みはありません。ただ予報では週明けから寒さが厳しくなるらしい。出かける予定がないのはさいわいです。

さて、昨日もはっきりしない天氣でしたので、読書が進みました。
先日宮沢賢治の『ガドルフの百合』以来賢治の恋愛関連情報が妙に集まってきています。

昨日は図書館から借りた今野勉の『宮沢賢治の真実』という本を読んでいました。本の副題は「修羅を生きた詩人」です。

賢治の詩で「マサニエロ」という作品の中に(ロシアだよ、チェホフだよ)という部分がある。
このマサニエロとは?
賢治には()でくくる独特の表現方法があるのですが、この「ロシアだよ、チェホフだよ」とはいったい?
読んでいるワタシも、頭の中に「はてな」がわんわん飛び交います。
早く知りたい。
自然とページをめくる手がせわしなくなる。

今野さんがこの意味を丁寧に読み解いていくと、チェホフの『隣人』という作品にたどり着く。
賢治には2歳下の最愛の妹「とし」がいたことはご存じの方も多いかと思います。としは、賢治が26歳のとき、24歳という若さで亡くなっています。
唯一の理解者であった妹を失った賢治の悲嘆が計り知れなかったことまではワタシも知っていました。しかし、その背景は知らなかった。
この本は、としが死に至る経緯をたどりながら、賢治作品を読み解いていく構成になっています。

さて、前述のマサニエロも実は兄と妹の話なのでした。
そして、チェホフの『隣人』、こちらもまた兄と妹の物語なのです。『隣人』からの引用があって、読み進むうちに「アッ」と思ったんです。
『ガドルフの百合』の、嵐の中を行く場面にそっくりな描写です。
あまりにも似ている。
賢治は、チェーホフの『隣人』を読んだのではないか。
瞬間的にそう思いました。
今野本では兄と妹の物語というほうに力点があるので、『ガドルフの百合』との相似については一切触れていません。
似ていても賢治作品の評価が下がるわけでは決してありません。むしろ、こういう発見があると、ワタシも少しは賢治をかじっているんだな、という満足感の方が勝ります。
いずれチェーホフの『隣人』を読んでみようと思いました。

余談ですが、表紙の賢治写真、目にすることの多いポーズだと思いますが、コレ、ベートーヴェンを真似て撮った写真なんですって。音楽好きだった賢治は中でもベートーヴェンが好きだったとか。コスプレするお茶目さも持っていたことにぐっと親近感がわきます。

まだ読了していないのですが、同時期に賢治の恋と、としの恋が進行していたらしい事実が明らかになってきました。『ガドルフの百合』における賢治の恋愛対象は女性でしたが、本書では同性に対する恋情であり、個人的にはこちらの方が妙にしっくりくる。
性別を問わない感じが、なんか南方熊楠に似ている。
天才の次元では、性別なんか軽く飛び越えるものかもしれません。

なぜ、としの死に際して、賢治があんなにも悲嘆したのか、という疑問が、本書によってほぐれ始めています。としの初恋が地元新聞にスキャンダラスに扱われ、彼女は周囲の目を避けるように東京の大学に進学したこと。賢治は当時じぶんの恋愛に夢中で、としの苦悩に氣づかなかった可能性が高い。としの死の間際やっと、妹の恋愛と周囲の目に毅然とし立ち向かっていった彼女に氣付くのですね。それから賢治は変わっていく……。
読むほどに、なんにも分かっていなかったのは、ワタシも同じだなぁと、つくづく真実はどこにあるんだろう、探したところで見つかるものなのか、といった思いがむくむくと湧いてきます。

菜の花が咲き始めました。

これまで賢治作品を中心に読んできましたが、作品の核心を知るには、賢治がどう生きたか、あわせて時代と花巻の地域性なども知らないことにはどうにもならんのじゃないか、と思うようになりました。
今更ですが、作品の背景にも少しずつ注意を向けていこうと思います。
賢治を読んで4年目、ようやくここ、です。
とはいえ「もっと知りたい」と思える対象があることはさいわいかな、とも思えます。

ではでは、今日もご機嫌元氣な1日を。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?