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玖磨問わず語り 第1回



モモコとユズコ


玖磨じぃちゃんが、初めてナンリさんに会うたのは10年前。
そやけど、わーはその前の話も聞かせてもろうたんや。

横浜のさくらねこ


元々オラは横浜の野良猫だした。
アンさんよりだいぶ大きくなってから、ある保護猫団体に保護されたんだす。
そこでは、最初雌猫と思われて、「モモコ」という名前がついたんだす。
不妊手術をする段になって、雄と判って、去勢手術されたわけだすが、その後も名前はモモコのままだした。

その団体は、手術した猫の耳をカットするんだす。
ホレ、オラの右耳、これが去勢済の印だす。
耳の避けたところが、桜の花の形に見えるというんで「さくらねこ」とよばれる。

ユズコさん


さくらねこになったオラは、まもなくユズコさんという一人暮らしのヒトの家に引き取られたんだす。
ユズコさんは、法律関係の公務員だした。
『あんまり家にいられないから、ここから外に出入りしてね』
そのマンションの裏手は山が迫ってきていたので、4階からでも山に飛び移れたんだす。
オラ、昼間は外、夜は家に帰るちゅう自由氣ままな暮らしに満足しとりました。

ユズコさんは帰ってくると倒れこむように寝てしまう毎日だしたなぁ。ユズコさん、朝目覚めてオラが横に寝ていると、
「モモコがいてくれて、今日も頑張ろうって思えるわ」
と、よく言ってくれたもんだす。
ところが、数年後、ユズコさんは難病にかかり、入院しなければならないことになってしまったんだす。

ユズコさんは自分のことよりオラをどうするかを真剣に悩んでいただすよ。オラは外の暮らしもあったから、ひとりでもなんとかなったんだすが。
ユズコさん、オラのことより自分を大切にしてくだせぇ。
オラにできることはないだすか、ユズコさん。

ユズコさんとの別れ

来訪者


春、桜の花ほころび始めたある日、オラが外に出かけようとすると、ユズコさんが、
「モモコ、今日は出かけちゃダメよ」
と言って、ベランダの戸を閉めたんだす。

このとき、何かが起こりそうな氣配にゾワゾワッと、背中の毛がいっせいに立ったことを覚えとるだす。

やがて、玄関にだれかが来ただす。
「遠いところ、わざわざおいでいただきすみません。まだキャリーケースには入れていませんが、モモコにお会いになりますか?」
「ええ、ぜひ」
少し高目のハッキリした声が答えて、ユズコさんとその人が部屋に入ってきただす。

「モモコ、今日からお世話になるナンリさんよ」
「モモさん、こんにちは、ナンリです」

今日からお世話になる?
今日から?

ユズコさん、どうゆうことだすか?
オラの頭はまっしろになっただす。

「立派な黒猫さん、大きいですね」
そう言うナンリさんは、日に焼けたがっちりした体格で、力もありそうだす。

「キャリーケースに入れるの、お手伝いしましょうか」
その人は静かにオラに近づいてきただす。

オラ、反射的に逃げただす。
「そりゃ逃げるよね、そりゃそうだ」
その人は少し笑いながら、ふたたびスルスルとオラに迫って来る。
つかまってはなんねぇ、
ところが、オラが逃げた先にはユズコさんがキャリーケースの口を開けて、待ち構えていたんだす。
ゴメン、ユズコさん!
オラ、ユズコさんの肩にジャンプすると近くの壁を蹴って、反対側に飛んだだす。

「おおー、天井に駆け上がりそうな勢い、さすが外に出てただけあってワイルドですね」
その人はもう笑っていないだす。
「モモコ、お願いだからおとなしく、ここに入って」
いやだす、絶対、オラ、捕まらないだす。

ユズコさん、なぜ?


「ふぅ~、今日、モモさんを連れて行くのは無理かもしれませんね。無理しない方がいいでしょう」
「いえ、私が何とかしますから。ナンリさんは部屋の外で待っていてください」
いったん部屋から出たふたりが、ドアの向こうで話している声が聞こえただす。

そして、再び部屋に入って来たユズコさんは、これまで見たことのない顔つきをしていただす。
「モモコ、ナンリさんのところなら安心だから。お願い、キャリーケースに入って」

ユズコさんは、真っ白な顔でオラに近づいてくる。
オラは逃げる。
ユズコさんの瞳が強い光を放ちながら、オラを追いかけてくる。

ユズコさん、どうしてオラをよそにやろうとするだすか?
オラはここでユズコさんを待ってるだすよ。

オラ、懸命にユズコさんに頼みながら、逃げ回っただす。
「モモコ、お願い。なんで、私の言うこと聞いてくれないの?」
ユズコさんは泣いていただす。

そのとき、オラの爪がユズコさんの腕に食い込んで、血がタラリ。
床に赤い血がポタ、ポタッとこぼれ落ちて、オラ……。
ユズコさん、大丈夫だすか?

そうしたら、病氣のユズコさんのどこにこんな力があるのかと思うほどの力で、オラはキャリーケースに押し込まれたんだす。
ユズコさん、ユズコさん。

それでもオラ、納得がいかなくて、ケースの中側から扉に体当たりしたんだす。
「モモコ、ごめんね、ごめんね」

ユズコさんは、ケースの外側をガムテープでぐるぐる巻きにしながら、オラに謝るんだす。
「モモコ、最後まで面倒見るって言ったのに、約束守れなくてごめんね」
ユズコさんが泣いている。
「ナンリさんのところで、しあわせになるのよ」
オラは、暴れるのを、止めただす。

「モモコを、どうかよろしくお願いします」
そういうユズコさんの声は、震えていた。
「わかりました。大切にお預かりします。では、お大事になさってください」
このとき、オラは諦めたんだす。
どんなに抵抗しても、もうなるようにしかならない、と。

真っ青な空が広がり、遠くに富士山の姿がくっきり見える日だした。
オラは窮屈なケースの中で、全然関係ないことを考えただす。

ユズコさんは今夜も、街を見渡すあのベランダで煙草を吸うんだろうか……。
なぜ、オラは今夜、ユズコさんの隣にいれないんだろうか?

続く


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