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7/11 「あーね」と思った日本人の死生観

おはようございます。
しばらく雨予報が出ている糸島、妖怪クッチャネとなったショローですが読書だけは続けています。

『往生の極意』山折哲夫
ハリウッドの映画監督曰く「人間の苦悩や悲嘆を 映画表現する時に、ハリウッドの場合はロングからアップへと カメラを近づけ、 最後には人間の苦しみや悲しみの表情をクローズアップする。 それに対して日本の監督の場合は逆のことをする 。最初にクローズアップで表情を捉え、 やがてカメラをロングに引いていき、 最後には人間を自然の中に溶け込ませる」
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欧米と日本の自然との関係の対比として、とても分かりやすい例だと思います。われわれ日本人は生まれたときから自然に包摂されている民族なんじゃないかしらん。
人工的なものを好まない。だから人工の場合もシンメトリーをあえて崩すようなことをするんですね。
そして、自然のなかに身を置くことで安らぎを得る。「自然に還る」ことが最終目的みたいなところがある。
天災に遭っても悪態をつかず、強奪せず、穏やかに列を作って配給を受け取り、黙って土砂を片づける。自然を敵対化しない。
そういう国に今、世界中から人がやってきている。何かを学ぼうとしている。ぼーっとしていたら「庇を貸して母屋を取られる」なんてことになりかねない。まぁ、そうなってもへっちゃらなのが日本人なのかも、ね。
 
自然の中に溶け込むようにして死んでいく。 これを日本人の多くが、 心のどこかで望んでいる共通感覚というのは 、言い過ぎだろうか。今の私はそういう感覚 感情があることを、我が事として体験できるようになった。 その時、死ぬことに対する抵抗感がスッと消えていく。 抵抗感を希薄にさせる 何者かを、自然が与えてくれると言えるのではないか。 その感覚は親鸞の「死にに行く道」に重なっていたようにも思う 。
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「死にに行く道」を知らなかったのでネット検索。そのなかで、ワタシなりに「これが内容に沿うんじゃ」と思ったのが下記です。

あーね。
「いつ死んでもいいね」と言われ、同じ人から「からだを大事にしなさいよ」とも言われる。どちらの問いにも素直に「はい」と言えること。極意ですなぁ~。
いやぁ、いくつになっても学びです、はい。

もう1冊は『こころの生態系』。
1999年に開催された日本総合研究所のシンポジウムの記録を元にまとめられた本です。

ピカソの「陽だまり」風

現代社会が直面する地球環境の問題や、自然破壊の問題は、我々の精神や 意識が 、そして我々の心というものが何か大切なことを学ぶためのプロセスなのではないかと思われる。 すなわち、 それは人間の存在が、 自然破壊を生み出していくプロセスなのではなく、人間の精神が自己破壊の危機を見つめながら、成長し、成熟し、進化していくプロセスなのではないか。
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河合センセが「地球にやさしく」という言い方が好きになれないと発言し、それに触発された他のパネラーたちがさかんに討議する場面です。
そうそう、密かに「地球はそんなに小さな度量のもんじゃないよ」と思っていたのです。地球はわれわれごときに「やさしくされる」存在ではない。
ちゃんちゃらおかしいよ。
地球に対しての上から目線、止めましょうよ。

もちろん、なにをやってもいいというわけではありません。これを機にひとりひとりが今後の身の振り方をよくよく考えるべし、ってこと。
ところが、実際には「何年までに●●会議に決めた目標を達成できないとダメな国」みたいなことばっかり言われている(ような)氣がする。
いや、問題はそこじゃないから。

今起こっている課題は、なにを伝えようとしているか、なにを学ばせようとしているか? 
そこを、ひとりひとりが考えていくチャンスでしょうが、ちがう?
なんかね、どんどんものを考えなくなっていく。テレビやネットの言ってることを真に受けて、それを自分の考えと錯覚しているヒトが多いこと。
オノレも氣を付けよう~、「ヒトのふり見て……」ですよね。

ではでは、今日もご機嫌元氣な1日にしましょう。






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