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8/5 澄む、住む、(速やかに)済む

おはようございます。
梅雨あたりからYouTubeの雅楽をよく流しています。
なんか部屋の空氣が変わる。平素から清浄にしたくなる。
白山神社の月並祭で、お祓いを受けている感じ。

「日本人は正義より清らかであること」を好むそうです。
日本人は「ためた水」ではなく「流れる水」で身を清める。
そんな日本人の呼吸に合う雅楽。
なんともいえぬ懐かしさ、かすかに口角があがるくらいの微笑み。
いいですなぁ。

連日、炒めた茄子に庭の大葉をからめて食べています。

澄んだ住まいで物事を済ませる。
今朝、ピンときた言葉です。
澄む、住む、済む
日本語の面白さですね。
掛詞とか枕詞、そんな高尚なものでなく駄洒落、言葉遊びは昔から興味があって、それも連歌にひかれている理由かも。

糸島に来て家事に目覚めたショローは「澄む」の大事さを日々感じています。掃除は汚れてからするものではなく清浄を保つもの、と分かりました。一歩先に行動することで「澄」。「澄んだ」空間は「住む」にふさわしく保たれ、速やかに物事が「済む」ようになる。
あら、「速やかに」も「すみ」ですね、すごいスゴイ。

以下、これに関する芋蔓的なおしゃべり。
先日、久々に天井掃除をしたのです。
毎晩星をながめていて、天に意識が向くようになったのでしょうか。
うんにゃ、ライオンズゲートが開いているせいか。
氣のせいか、その後シンクロ率があがりました。
ドナルド・キーンの本に、こころ惹かれる松尾芭蕉の句があったのですね。
続いて読んだ数学者・岡潔の『数学する人生』(森山真生編)で、また芭蕉の句に遭遇、それも同じ句です。

蛸壺やはかなき夢を夏の月
 蛸壺と、はかなき夢と、夏の月がこん然として意味不明に陥っている句。特にはかなき夢「を」が何を指しているのか言語としてみた時には何ともまとまりに欠ける句ではある。一の谷の合戦の平家一門の哀れを背景にしてはじめて意味が浮かび上がってくる。それでいて芭蕉秀句の一句であろう。平家物語や行平伝説の哀愁と、蛸といういささか尊重されない動物とのおよそ似つかわしくない組み合わせこそが俳味を強調してペーソスを作り出しているからであろう。蛸が、日本文学の中で最も名誉な位置を占めた唯一の例ではないか。

山梨県立大学より

本を選んだワタシに、岡潔とドナルド・キーンのつながりはなかった。
なのに芭蕉の蛸壺がまたがっている。
straddle だ、straddle!

この句、ワタシは蛸壺に入ったタコが蛸壺の中からお月様を見ているようなイメージとして受け取った。
オノレがやがて蛸壺を仕掛けた人の手によって殺されることは知らない。そんなことはどうでもよくて、居心地のいい寝床を見つけた俺ってラッキー、それにしてもいい月夜だなぁ……。
明石のタコ焼き、食べたくなりました。とろ~り熱々の明石焼き。
芭蕉を読んでいても食いしん坊です。

ちなみに岡潔は「ゴッホの絵には情緒がある」と書いておられます。
みんな、つながってくるんです。
あっちゃこっちゃ話が飛びますが、すべてパラレルに起こっている。
ここはワタシの記憶庫、分かってもらえなくてもまったくオッケー。


アカシアの苗がしっかり根付きました。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今週も直観を無視せず、ご機嫌元氣に参りましょう。


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