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探し物はなんですか、見つけにくいものですか

道端に落ちている落とし物を、見て見ぬ振りをすることが多くなりました。
色鮮やかなスカーフ、赤ちゃん用の小さな靴下、踏み付けられて黒ずんだハンカチ…。
中高生の頃までの私は、落とし物を見て見ぬ振りをして
通り過ぎることができない質でした。間違えて一度通り過ぎてしまっても、
その場に戻って、どこか近くのガードレルなど、地面ではないところに
置いておいていました。
そうでないと、心がチクリと痛んだからです。

それなのにいつからか、何かしらの理由をつけては、
見過ごすようになりました。
「遅れると怒られるから」「汚れていて汚いから」
「変に動かした方が、却って持ち主が見つけづらくなるから」
「私でない、他の誰かが拾えばいいから」・・・

これ以上踏まれぬよう避けることの何にそんなに時間がかかるのでしょう。
ひょいと拾い上げた指先の、どこがそこまで汚染されるのでしょう。
ほど近くに避けることで、どのように見つかりづらくなるのでしょう。
他の誰かって、誰でしょう。

そもそもギリギリの時間で行動しなければ良いことです。
そんなにも気になるのならば、自分のティッシュを使って拾うか、
すぐにお手洗いに駆け込めば良いことです。
できるだけ目立つように、工夫して置いておけば良いことです。
落とし物に気がついた一人の人として、"誰か"に、自分がなれば良いことです。

今でも、心が全く痛くならないわけではありません。
それでも、見て見ぬ振りをしてしまい、
そしてその度に、そんな大人気ない自分のことが、嫌いになります。

見て見ぬ振りを続ければ、いずれ自分が、
見て見ぬ振りをされるのかもしれません。
落としたものを、拾ってもらえなくなるかもしれませんし、
困った時に、見て見ぬ振りをされるかもしれません。

自分の行動は、良いことも悪いことも、
いつか自分に返ってくると言います。
本当に、その通りであると思います。
なぜなら、優しさを持って接してくれた方には、
優しさを持って接したくなるし、
受けた優しさの分だけ、何かしらの行動や言動で
恩を返したくなるからです。

落とし物を拾わない私の姿を、誰かが観察しているとは思いません。
落とし物を拾う私の姿を、誰も見守ってはいません。
けれど、人への優しさも、悪意も、誰かへ向けられた全てが、
自分に返ってくるのです。

その見て見ぬ振りが、最初は誰かの落とし物だけだったとしても、
今度は誰かの涙かもしれません。
誰かのSOSかもしれません。
段々と大きくなって、しかし、大きくなっていることにも
気がつくことができず、そして全てがいつか、自分に返ってくるでしょう。

私は、このことを改めて心に留めておきたく、
今日、ここに認めます。

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