曲の独自解釈

2.UNISON SQUARE GARDEN


ご機嫌はいかがでしょうか、なのすずです。
UNISON SQUARE GARDENの曲。
少しでも1曲1曲が会うべくして会う方と巡り会えますように。

いつかの少年は、冬の空が明けてくる時間帯に膝を抱えて座って考え込む少年が、「無駄になっている」と思っていたバラバラの地球儀の欠片を繋ぎ合わせていく様子を見守る曲。ベースは感情を地球儀に喩えてバラバラにしたり組合せ、やっと繋がっていく赤道に喩えた考えをギターで、ドラムはそこから徐々に明けていく少年の人生を継ぎ接ぎだらけの地球儀が完成させようとする歌。それを見て、案外やっていけそうじゃないかと歩き出す──そんな少年の人生の一部分を切り取った聴いた後に少し前を向こうと思える歌。

箱庭ロック・ショーは、夜明けと共に日が昇って日常が始まり出す街中の小さな箱庭から、世界を自分達の音楽で染め上げようとする曲。ドラムがバンドとして着実に前に前にと進んでいき、まずは手当たり次第に箱庭のようなライブハウスから自分の色に染め上げるのをベースが、そこから徐々に一貫性がないのに芯が貫いている華やかさが芽吹く過程をギターと歌が表している。自分達の世界に籠っている時間に創った音楽をCDやライブで外に弾き出した瞬間、UNISON SQUARE GARDENというバンドたからこそ呼吸を始めていく。

flat songは、子供を通して自分の子供時代と照らし合わせながら優しい日だまりのような温かさで見守るような曲。ベースが子供と接する大人が過去の自分と照らし合わせながら試行錯誤していき、それに答えようとする子供とそれを1つ1つ諭したり導いていく大人のやりとりをギターと歌で、陽だまりのような周りの温かさをドラムが表している。「失敗は成功のもと」これが単純でありながら難しいが、それは子供だけでなく接する大人にだって大切な言葉で、この言葉が軸にあるから一緒に成長することを教えてくれる。

気まぐれ雑踏は、鬱々とした感情を溜め込むことしかできない人が感情の切り替えのために自分の弱った気持ちを他所に預けようとする曲。人の雑談は心身共に不安定な人には自分の愚痴にも聴こえ、そこで入るギターは身を守るために自分の殻に閉じこもるようで、自分が傷ついた原因をさぐろうとするのはベースが、ドラムはそんな傷ついた不器用な人を諭しているようで、歌はそんな弱さや傷を包み込もうとしている。場所や物に弱った心を預けられても、「あなた」には素直に預けられないのだろうなと思ったら、とても天邪鬼な一面が見えるUNISON SQUARE GARDENらしい1曲。

フレーズボトル・バイバイは、他人の評価を「他人の用意した答え」と一蹴した上で、何度も聴き込んだ上で現場に来てほしいという力強いメッセージのある夏の爽快感と疾走感を感じる曲。ドラムの世間の慌ただしさと他人が人の好きなものに対して批評家ぶる「他人の用意した答え」をベースが、ギターはそれらを実力で弾き飛ばして「楽しかったね」と無邪気に歌で笑い飛ばされる。この曲が最後に収録されているアルバムのNinth Peelは、この曲が最後にくることで厚みが更に増して何度も曲順通りで聴き直したくなる。

まずはこの5曲まで。
私は風見鶏のように気まぐれなので、増えたり書き換えていたりとひょこひょこ変わります。
自分の色を出さないように、自分の感性と言葉を捻り出して書き出しました。
個人的な独特な視点での捉え方もましましなので、お口に合うも合わないもそれぞれで受けとめて頂ければ幸いです。

なのすず

【最終修正:2023.8.26 10:31】

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