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無限ループする3月

ちょうど1年前、人事異動の内示が出て、思いもよらぬ部署へと飛ばされた。

異動の希望もしていなかったし、当時の部署にそのままいるんだろうと思って仕事の引き継ぎの準備なんかも全くしていなかった私には青天の霹靂すぎた。
上司から異動を告げられた時は「は?」と思ったし、しばらく思考が停止した。

こうして思ったのだ、「やっぱりこの仕事辞めよう」。

ちなみにその1つ前の3月も全く同じことを考えていた。
「このままじゃダメだ、やっぱりこの仕事やめよう」

そして、5年目の春、2023年の3月。
今年もまた同じことを思っている私がいた。


人間という生き物は変化を嫌うらしく、新しい方向へ進もうとすると必ずブレーキがかかるようになっている。

現状維持バイアスとかいうらしいが、そんなの知ったこっちゃない。

こちとら何年同じことで悩んでいるんだという話である。いい加減飽きてきたし嫌気がさしてきた。それはいつまでも決断できない自分へと相変わらず下っ端のことなんか微塵も考えられていないこの組織に対するもので。

でも結局変われるのは、変えられるのは自分しかいないから、「残る」か「辞める」かを自分で選択するしかない。

今ここにいる自分自身も過去の自分がした選択の上にいるわけで、結局は自分が全て決定していることには他ならないのだが、そこの決定行為が積極的か消極的かという色の違いはある。

そう思うと私はずっと消極的な選択しかできてなかったなあと思う。
ずっとずっとおんなじことで悩んで、でも結局怖くて踏み出せなくて。あとどんなにこうしたいあれしたいと思い描いていても、日々の仕事に追われて気がついたら流されて…みたいな日常の繰り返し。

ラッコのようにワカメを巻き付けて寝ればいいのかもしれないが、わたしにはそのワカメみたいなものがなくて、気がついたら流されていた、いわば遭難に近い感覚がある。紛れもなくこれは意識の遭難である。

わたしはどこに来てしまったんだろう。現在地を把握できていたつもりでも気がついたら流されてることが多くて、中々進みたいところへ進めない。

やっぱり自分で碇をおろして、自分で地図を描いて、自分で漕ぎ出していくしかないんだろうなと思う。

少なくともわたしが生きたいと思っている人生はそういう方法でしか辿り着けないのだと思うのだ。


毎年「今年こそは」と思うのだが、結局振り返ってみると同じところに戻ってきているように感じる。
でも、本当は少しずつだが状況は変わってきていると思っていて、あと1枚、でもものすごく分厚い壁1枚を乗り越えたら、また新しい世界が見えるんじゃないかというところまで来ている気がするのだ。

わたしの強みは「諦めないところ」だ。
悪い意味での諦めの悪さはなく、いい意味で諦めが悪いので、しつこく確実に一歩ずつだが自分の進みたい道へは踏み出せているとは思う。

ただ速度は非常にゆっくりなので、たまに焦って空回りすることも沢山あるけれど、結果としてなんだかんだで進んでこれてはいる。

だから今年も諦めない。わたしはわたしの命を輝くように燃やせることを人生の軸にして生きていきたいと思っているから、絶対諦めない。

わたしの大好きな人たちは皆それぞれのやり方で命をきらきら燃やしている。その燃やした光は誰かの心を照らして、様々な影響を与えてまた新たな火を灯す。だから私もきらきら命を燃やして燃やし尽くして死にたいと思っている。

岡本太郎さんが「芸術は爆発だ」とかの有名な言葉を残したけれど、まさにこれが人生の真骨頂だと思う。


無限ループしているように見えても、少しずつ変化は起こっている。
ループもののストーリーで、最悪な展開を変えるために行動すると少しずつストーリーの状況が変わっていくのと同じだ。

だからいつかトンネルの先に出られることを信じて、自分でできることをやって粛々と進んでいくしかない。

苦しいし時間はないし悩みは消えないし理想の人生がやってくるかはわからないけど、無限ループする3月のなかで、少しずつでも足掻いてもがいていつかくるエンディングを最良の形で迎えたい。

今年度もわたしは諦めない。

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