![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/105042761/rectangle_large_type_2_29aba0f3b80f584a775b7279a3dbf633.png?width=800)
神様なんていないからもっと好きにやればいいって話
神様なんていないと思っている。
ライトノベルの導入部みたいになったが、本当にいないと思っている。
別に宗教の類を否定しようとか、そういう意味ではない。
「自分は人よりも苦労しているんだから、きっと神様が見ていてくれるはず」
「あいつはズルばかりしているから、必ずバチが当たるはず」
こんな感じの考え方にとらわれていると、とても窮屈に生きる羽目になる、という意味である。
人は、自分の苦労や善行に見返りを求めたり、他人の悪行に代償を求めたりしがちだ。
それは自分の力ではどうにもならないものだから、勝手に神様に期待する。
そして、
「自分はこんなに苦労しているのに、なぜこんな酷い目に遭うんだ…」
「あんなに性格が悪いやつが、どうしてあんなにいい思いをするんだ…」
と、勝手に落ち込み、やさぐれる。
だからこそ、ここではっきりしておいた方がいい。
いくら善行を積んだとしても、それが報われるとは限らない。
いくら悪いことをしても、その人が不幸な目に遭うとも限らない。
常に健康に気を使い、周囲のみんなから愛されるような人が若くして亡くなったかと思えば、酒タバコを浴びるように摂取し、周りの全員から嫌われているような人が100歳まで幸せに生きたりする。
職場で面倒ごとを全部引き受け、プライベートを犠牲にして会社に尽くしている人よりも、その人に面倒ごとを押し付けて遊んでいる人の方がボーナスをいっぱい貰っていたりする。
そんなことが、世の中にはザラにある。
むしろ、そういうことばっかり起きている。
たまに悪人とされている人に不幸な出来事があると、
「ほら、神様は見ていたんだ」
「バチが当たったんだ」
なんて言うけれど、不幸なことなんて善人中の善人にだって起きる。
人生は決して平等ではなく、極めて理不尽なのだ。
もし神様がいるとしても、世間が思っているよりもずっと意地悪で、不公平なのである。
それを受け入れてしまった方が、ぐっと楽になる。
仮に神様がいたとしよう。
神は乗り越えられる試練しか与えない
なんて言葉があるが、果たして本当にそうだろうか。
家族を亡くした人にこの言葉をかけている人を見たことがあるが、神は誰かに試練を与えるために、別の誰かを殺すのかという話である。
絶望的な出来事に直面して自殺してしまった人は、「乗り越えられる程度の試練」に負けた弱い人間なのかという話である。
数年前、外出制限が出ているのに大混雑している神社へ初詣に行って、
「新型コロナが無くなりますように」
と願っている人がたくさんいた。
そもそも、「外に出ないで」という決まりを破るような人の願いを、神は叶えるのだろうか。
むしろ、決まりを守らない人々に罰を与える可能性があるのではないか。
だいたい、神様がいるならばコロナ自体が流行らなかったのではないだろうか。
地球全体のことを考えたら、神はコロナではなく人間を滅ぼすべきなのではないだろうか。
様々な考えがあるだろうが、多分、何も起きていない。
「だから、神様なんか気にせずに欲望に任せて悪いことをしよう」
と言いたいわけではないし、
「あなたがいくら苦労しても、多分報われないよ」
と言いたいわけでもない。
そんな極端な話ではなく、
バチなんか当たんないから、他人に多大な迷惑を掛けない範囲でもっと好きにやればいいし、もっと図々しくやってもいい。
そう思うのだ。
よく、
「人生で良いことと悪いことのバランスは同じ。プラマイゼロになる」
という人がいる。
それを真に受けて、せっかく良いことが起きたのに
「次は悪いことが起きるのでは」
と考えてしまい、せっかくの良かったことを素直に喜べない人がいるという。
非常にもったいない。
なぜなら、人生はプラスマイナスゼロではないからである。
生まれてすぐに戦争に巻き込まれて、苦しみながら亡くなってしまう赤ちゃんがいれば、とても長生きして、「次に生まれ変わってもこの人生がいい」と思いながら穏やかに亡くなっていく人もいる。
プラマイゼロであるはずがない。
裏を返せば、大幅にプラスにすることだってできるはずなのだ。
良いことが起きた後に、連続して良いことが起き続けることだって、あるに決まっている。
残念ながら、この世の中は正直者が馬鹿を見るようになっている。
正直者は使いやすい人だし、いい人は都合がいい人だ。
正直者もいい人も、確実な長所である。
それは誇るべきところであり、直す必要はない。
だからこそ、もっと傲慢に、もっと図々しくやってもいいと思うのだ。
せめて、嫌なことは「嫌」と言い、無理なことは「無理」というくらいはしてもいいだろう。
長い人生を圧倒的プラスで終えるためには、いいように自分を使ってくる「社会」とやらにNOを突き付けつつ、自分を甘やかしていくことが必要だ。
生きるのすらしんどくなるくらいだったら、ちょっとくらいズルしたって大丈夫。
神様なんていないんだからさ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?