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気がつく音、見えるもの

 カラスの声がうるさいね、と声をかけられるまで、わたしの耳には自身の手元から発する音しか聞こえていなかった。言われてみれば、近くはないけれど確かに何羽かの鳴き声がする。考えごとに耽る中で、閉め切った窓の向こうに耳を澄ますのは、なかなか難しい。数日前に、玄関を出てすぐ蝉の声に気がついたのは、ほかに何も気を取られるものがなかったからだろう。蝉というと蒸し暑い空気が記憶に紐づけられているが、そのときは日没の時刻を過ぎて暫く経っており、少し肌寒いくらいの風が漂っていた。

 カラスには、特定の季節のイメージがない。気付けば年がら年中見かける。通勤時、排水設備が整っていない雑居ビルの前を通りかかると、毎朝のようにゴミ集積場を荒らす姿がある。野良猫と違って、こちら側には彼らの見分けがつかないから、いつも同じ鳥に見えるけれど、実際はどうなのだろう。境界線がない空を移動していても、縄張り意識が存在するのだろうか。そんなことをテーマにした新書があれば買ってみようかと、また財布の紐を緩ませることばかり考えていた。

 実際、声をかけられたときは、ごくわずかな音を拾いながら目の前の書類と向き合っていた。シャープペンシルの先が紙を滑る音ひとつをとっても、単語を拾いながらチェックを付すのと、対象となる部分を丸く囲うのとでは、リズムが変わってくる。それに気を取られるあまり、今取り組むべきことと全く違うものに意識を持っていかれることも危ぶまれるが、時々楽しむくらいなら良いだろう。

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