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猫になりきれない日々

 このところは、お粥やそれに近いものを食べて生活している。旅先で、地元の醸造所やその商品の取扱いがあるちょっとしたお店に立ち寄り、詳しいことはよくわからないけれどもおいしそうに見える味噌を選んで買うささやかな楽しみを得てから、それ以前よりもお味噌汁に関心が湧くようになった。何度か購入してみて、お店によって違いはあることはわかってきたが、成分や作り方の細かな違いは、まだよくわからない。だから、これは前回のものより甘い、こっちはなんとなく辛みがあるなどと味覚を頼りに考えごとを進めるうちに、何だか楽しくなってきたので、また出掛けのついでに買う算段を立てている。味噌のついでに甘酒も買ってみようかと考えている。残暑を前にして、もう食欲の秋が顔を出し始めているようだ。

 休日の朝、ピアノジャズを適当に流すことから一日を始めると、なぜかアナログな要素のあるものに気を惹かれるようで、スマホにほとんど触れなくなった。そんな週末を何回か過ごして、この前の日曜午後に、そういえば随分前に切り抜いた新聞記事やメモを大量に溜め込んでいたということを急に思い出したので、いそいそと分厚いノートでスクラップブック作りを始めた。何に使えばいいのかもわからないのに買ってしまったノートがようやく活用できて安心すると同時に、おそらくこれでまた別のノートに手を出すに違いないと不安要素が頭の中をよぎる。

 こうやって後から眺めてみると、会議中はお偉方が結構良いことを言っていて、それでも普段はお菓子を貪り食っていたり仕事中は謙遜に謙遜を重ねて腰を低く見せていたりするから、自身を味のある人として印象に残すには、生活することと仕事をすることの切替えと同時に、それらを程よく混ぜ合わせることが肝なのかもしれない。

 わたしは往年の猫背を育てながら、平日の昼は猫まんまばかり食べているにも関わらず、猫の生態に近づくことはできないらしい。相変わらず、飼い猫に対してもどこかよそよそしく触れるばかりだから、あまり懐かれている感じもしないけれど、避けられているわけでもなく、どちらかといえば大人しく、気ままに過ごしているという面では似たもの同士のような気もする。愛猫家というほどでもないが、人様の猫や野良を見ると、やっぱりうちの猫が一番可愛いと思うから、それなりに可愛がっているつもりだ。

 夏バテのせいか、わりと長く続けていた散歩の習慣が途切れてしまった。仕事帰りに眺めていたあの野良猫、いまも何とか生きているだろうか。

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