Zen2.0に参加しました⑥ 日常社会で広がるマインドフルネス

 鎌倉の建長寺で2019年9月21日、22日に開催されたZen2.0に参加しました。
 今回はタイ・スカトー寺副住職のプラユキ・ナラテボー師とMindfulness&Yoga Networkを主宰されている山口伊久子様の講演の内容を記載します。乏しい理解のため、誤解を生じている点があるかもしれませんが、どうぞご容赦下さい。

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■「日常社会で広がるマインドフルネス」:プラユキ・ナラテボー師×山口伊久子様

○プラユキ・ナラテボー師

 瞑想難民という言葉があるが、根性や欲をもってするなど瞑想のやり方を間違えると心も体も消耗してしまう。
 瞑想によって正しい心と体の整え方を学べば、苦しみから自由になっていく。

 瞑想は「真」+「善」+「行」の実践である。

 「真」は地図に例えられる。心はどうなっているのか、心の構造を明らかにする。

 「善」は方向性である。自他の抜苦与楽を指標とする。

 「行」は車に例えられる。目的地に向かう器としての身体と心を使って、苦しみをなくし心を楽にしていく、慈しみの心を持つ。

 ものの味方がずれたり歪んでいるときに、正しい見方に変えるのが正見である。
 苦しんでいる人も、正しいものの見方、心の整え方を知れば、不安や怒り、落ち込みを改善できる。
 「認知」と「行動」を変えていく認知行動療法と共通点がある。

 ブッダは苦しみからの全き解放を目指し、自由を得た。
 苦しんで引きこもっていたとしても、良き縁に触れ、適切な生き方や生活の仕方を学べば、そこから抜け出すことができる。
 誰でもが苦しみを軽減して自由になれるのである。

 瞑想をする際に、雑念や妄想をしてはいけないという気持ちがあると、それらが湧いてきたときにがっかりしてしまう。
 こうありたい、なりたいという気持ちが強いからそうなってしまう。

 手動瞑想は、雑念や妄想も「何が起こってもOK」とあるがままに受け止めて、意識を手に戻していく。
 心や感情にはまり込んでいることを客観的にみられる目を培う(メタ認知)ことで、何が起こっても受け止められる受容力が培われ、心が楽になり人間関係も良くなっていく。


○山口 伊久子様

 マインドフルネスの考えとヨガを融合させた「マインドフルネス・ヨガ」では、今この瞬間の五感、身体の感覚を大事にする。

 庭を見ながら、周りの音を聴きながらお茶を飲んでみる。
 苦味を感じていなかった。
 飲み込む働きがあることを感じてなかった。
 五感を大事にしていなかった。
 自分を大事にしていなかった。
 今ここにいることを感じる。今ここから離れたら気づく。

 MBCT(マインドフルネス認知療法)プログラムは、毎日30~40分習慣化することを目標とする。
 堂々巡りする思考に巻き込まれない。巻き込まれても気づく。
 どういう風に自分と向き合うかを考えていく。

 デスクでも、ミーティング最中でも出来るので、企業のメンタルヘルス研修に活用されている。
 少年院の矯正プログラムにも活用されている。
 虐待を受けた家庭環境など嫌なことや思いを排除したくてイライラしてしまう。周りもイライラに巻き込まれる。
 MBCTによって、もう一つ次の引き出しを作り、何かあったときに次の引き出しを開く。
 自分に思いやりを持って向き合うことが大切。

 地面に座ってお尻と仲良くなる。
 足の裏に意識を移していく。
 目を閉じて、地面に付いているところと浮いているところの違いを感じる。
 手のひらを合わせて観察する。温かさ、冷たさ、皺(しわ)を感じる。
 親指から順番に指先を曲げていき手を握る。
 そのとき自分の呼吸はどうなっているか、どのときに力が入るか、どんな感覚が生まれるか。
 手を組んでそのまま上に上げ、手のひらを上に向ける。
 身体を左右に動かす。
 ゆっくりと手を下ろす。腿の上に手を置く。


○対談(以下、敬称略)

山口:キリスト教は皆で助け合うイメージがあるが、仏教はその人がどうするかが大事と教え諭すイメージがある。
 プラユキ師はどういう思いで個人面談をされているのか?


プラユキ:自分自身も悩み、苦しみを感じていたが、お寺で規則正しい生活を送り、先輩や師匠から指導を受けることで身体と心が楽になった。
 コミュニティや場の力を借りて、良き仲間とともに正しい実践をすると活き活きと元気になってくる。

 瞑想をすることで、悩み苦しむ人が楽になっていく。
 自己中心的な考えや自己犠牲とは異なり、自分自身の幸せだけでなく、共に幸せになることを目指す。
 人間関係の中で学びが得られ、お互い苦しみから解放される喜びを感じられる。
 智慧と慈悲が実現する。


山口:個人面談に仏教をどう取り入れるか?



プラユキ:自分自身で苦しみから楽になるという自力を大切にする。
 自殺やうつが増えているが、ブッダの教えでは環境に頼ることも大切である。
 正しい道を理解して理にかなった実践をしていく。身体と心で体験して確かめる。
 機能的に苦しみから解放されるバックボーンとして仏教がある。

 人はそれぞれ違っているので、自分の体験の中で気づきを身につけていく。
 自分で実践することで、味わったことのない感覚が得られ、楽しみや喜びが得られる。

 悟ろうとするのではなく、心の普遍的な法則を基本としながらその人それぞれが苦しみを少なくする、自由になる、社会で活躍する。
 慈悲は共に作っていくプロセスタイプである。

 マインドフルネスはオーダーメイドで提供できる利点があるが、瞑想難民にもなり得る。
 仏教は方法論として確立している。
 瞑想難民はマインドフルネスは一つと思いがちである。どれもありと知り、自分に合ったものを選ぶことが大切。


山口:企業ではハラスメントをする側のケアをすることもあるが、難しさを感じている。
 ハラスメントをしたことで降格処分を受けたことに対し、ショックを受ける人がいる。
 役職に付いたことなど、それまでの成功体験に裏打ちされたプライドを払拭できず、自分の行動の否を認められない、受け止められない。

 そんな時は、瞑想の中で自分自身と向き合ってもらう時間を取り、どんな成功体験であったか見つめ直してもらう。
 「苦しんでるよねー」と聞きながら確認する。

 こうありたいという願いがあって、それが上手く行かないとき、怒りが湧いたり辛くなって人を責めてしまう心の法則がある。
 こういう願いがあるということを聞いてあげる。

 ハラスメントをする本人自身が辛さを感じているので、願いが叶う方法を建設的に考える。
 自分の心の構造を理解できれば、他人に共感できるようになる。
 イラッときたときには願いがある。どうあって欲しいと思っているのか問いかけてみる。
 共感してもらうことにより、あるがままに受け止められるベースができていく。
 願いを叶えるにはどうしていったらいいか工夫を考え、建設的な方向に導いていく。


プラユキ:在家ではサンガ、修行者のコミュニティが大切となる。
 そこで良き縁に触れ、お互いに話を聞く機会を持つことができる。

 瞑想を日常生活に落とし込むことが大切。掃除や皿洗いも気づきを持ってする。
 家事や作業は気づきの機会となる。
 そこで、どういうことが起こったか仲間と確認しあっていく。
 日常生活での実践と仲間との確認が大切。
 コミュニティの力、場の力はエネルギーになる。

 今ここ、この場所、SNSではなく、目の前の人とつながることが大切。
 ただここにいることが許されるコミュニティ。寄り添っていてあげることが力になる。

 辻説法という言葉があるが、私はTwitterを利用して「つじったー」を配信している。
 Twitter上に緩いコミュニティができている。

プラユキ・ナラテボー(公式)
https://twitter.com/phrayuki


Zen2.0ブログへのリンクです

Zen2.0に参加しました① オープニングセレモニー
https://note.com/nanmin/n/n7f3704ef43ed

Zen2.0に参加しました② Homeとつながるマインドフルネス~呼吸の中のわが家へ戻る~
https://note.com/nanmin/n/n7153dd9ca988

Zen2.0に参加しました③ 食べる瞑想
https://note.com/nanmin/n/n6286c76f6927

Zen2.0に参加しました④ 縁と円~北米仏教から観るサスティナビリティ~
https://note.com/nanmin/n/n68c2db274976

Zen2.0に参加しました⑤ 坐禅:つながりを深める稽古
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Zen2.0に参加しました⑥ 日常社会で広がるマインドフルネス
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