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おお、吉本ばななよ

吉本ばなな氏の小説たちは、私の中でもかなり思い出深く大切なものとなっている。出会ったのは、高校生のある日、授業がつまらなくて教科書のカンケーないページをパラパラしていたら見つけた。題名は忘れた。吉本ばななの何かの短編集の中の一編。雪の日の話で、どーせ舞台は世田谷区とかなんだろうと思わせる雰囲気があった。若い女が主人公で、その旦那が帰ってくるのをじっと待つというやつ。

これをすごく没頭して読んだ。窓の外に雪が降っている、大切な人を待っている、今までの思い出、ああ寂し、みたいな細かいいろいろなことが綴られていく流れの繊細さが美しかった。面白い小説という概念、何も知らない高校生の、といったら、ある日朝起きるとナントカガーそして旅に出た。みたいなものであったが、それらが溶けて消えていった。こういうふうに文章に対して美しくて良いと思ったことはこれが初めてで、なんて良いんだろうと、かなり感動していた。

ずっと、盛り上がる出来事が起こる小説を面白いと勘違いしていたのだと思う。もちろん、吉本ばななの小説が何も起こらないというわけではない。ただ、出来事が出来事として存在していない。全ての事柄が主人公の心情を通して存在しているから、悪く言えば勝手な読み方が出来ないんだが、どう読んでも描かれた心情から逃げることは出来ない。だから出来事なんて半ばどうでもよく思えてきてしまう。

その後の休み時間、すぐに走って図書室まで行った。というか今思うと、どうしてあれほど常に学校の廊下を走りまくっていたのか分からない。廊下を走るな!という怒号も意味がわからない。わざわざ走る理由なんてなかったが走っていたように思う。もう、大学の廊下を走ったことなんて入学してから多分5回ぐらいしかない。

それで司書さんに、吉本ばななの本を読みたいんですと言った。司書さんはちょっと考えてから、一番いいのがあるよと言ってカウンターの奥に消えていった。そこで出してきたのがこれまたマニアックなやつで、『High and dry(はつ恋)』という小説だった。どう考えても借りるのが恥ずかしい題名となっている。

「十四歳のその秋のはじまりは、何かを予感するみたいに、世界中が完全な色に輝いて見えた。」から始まる。笑笑、よく読んだもんだ。でもやはり吉本ばななのユルさは丁度いい塩梅だと思う。馬鹿そうなのに全然馬鹿じゃない友達みたい。

吉本ばななの文章の持つ、天日干しした羽毛布団のようなあの感じは当時脳みそにかなり衝撃を与えた。それまでは文章から雰囲気を感じたりすることがなぜか出来ていなかった。馬鹿だったからだろうか。でも、吉本ばななを読み始めてからか、いろいろな文章について選り好みの判断基準を持ち始めた。

その次に読んだのは王道、『キッチン』だったと思う。これも本当に没頭して読んだし、本がボロくなるぐらい繰り返し読んだ。友達に布教しようと努めた時期もあったが、ギリギリの自称進だったのでみんな小説などを読むことに興味がないようで早々に諦めた。

『キッチン』はとても王道なので、無視してマニアックな作品の方を好きとか言ってみたいところだが、普通にかなり好きな作品だ。何となく感じが心地よく、馬鹿すぎず、賢すぎない。そして出てくる人が好きなのだ。吉本ばなな作品の大きな特徴として、一体何なのかわからない関係性みたいなのがよく出てくる。家族でもないし恋人でもないけど友達以上ではあり、そしてお互いにちょっとスピ的なものは感じているみたいな。

それの中でも『キッチン』の雄一君とみかげ(主人公の女の子)は最も好きな2人だ。どちらも普通の人すぎるところが逆に際立っていて良い。それに比べて、吉本ばななの後期の方、とか言ってまだ死んでいないのに申し訳ないが、後期の作品では段々クセの強すぎる風変わりな人たちが多数登場するようになる。私にはそれについていく要領はまだないらしく、なのでその辺はあまり好きじゃない。

『キッチン』の好きなセリフを2つ紹介する。

(以前までしばらく居候していた雄一君の家にみかげが久しぶりに上がるシーン)

「私、久しぶりにここに上がった気がする。」
私が言うと、
「そうだね。君、ちょうど忙しかったからな。仕事はどう?面白い?」
と雄一がおだやかに言った。
「うん。今はなんでもね。いもの皮むきすら楽しいわ。そういう時期なの。」

(雄一君とみかげがお茶を飲むシーン)

「雄一、私は。」私は言った。
「雄一が私に対して落ち着いてきちんと話ができるぐらいに、しっかりしていることを、とても嬉しく思っているわ。誇っているというのに近しいかもしれないくらいよ。」
「なんだ、その英文和訳のようなしゃべりは。」
雄一が、ライトに照らされてほほえむ。紺のセーターの肩が揺れる。

可愛い感じだが、時間の流れ方が通常ではない。1秒が100秒みたいな、それは丁寧さであって、多分ノロマさではない。そしてどうせ2人の上には満月が浮かんでいるのだろう。そう書かれなくともわかる。実際には書かれていた気がするけど。

『キッチン』を読んだ後は学校にあるものを手当たり次第読んでいたような気がする。多分、『うたかた』とか『どんぐり姉妹』、『哀しい予感』あたりをテキトーに読んでいたのだろう。だが内容がほとんど思い出せない。『うたかた』は、馬のケツをズームして写真に撮ることを、いかにも「芸術ぽい」ことだとか書いていてそれは結構覚えている。『どんぐり姉妹』は確かあまり好きではなかった。『哀しい予感』は1つのボロい家に関する話だったような。

吉本ばななの小説では家とか部屋とかがかなりポイントとなっていることが多い。家とか部屋がただの背景ではなくて、結構主な感じで参加している。というよりも、その家とか部屋が元々持っている物語があって、それが人間の物語を新たに生み出しているような。

『アルゼンチンババア』がその良き例だ。街外れにあるアルゼンチンビルと呼ばれている変なビルに、アルゼンチンババアという頭のおかしいおばさんが住んでいて、みたいなやつ。アルゼンチンビルがなければ、アルゼンチンババアもいないわけでしょ?というのを私は言いたい。でもはっきり覚えていないが、確かこの『アルゼンチンババア』はめちゃくちゃいい終わり方をしたような気がする。アルゼンチンババアと主人公のお父さんが結婚するんだっけ。忘れた。

自分でも驚くほどに小説の内容を覚えていない。なのでもうここに書くべきことは無くなってきた。『キッチン』は繰り返し読んで頭に定着していたので書くことが少しはあったが、それ以外はほとんど大筋さえも忘れてしまっている。また読み直すか、いや、それに意味があるのだろうか。

最後に『N・P』についてだけ書いておく。これは大学に入ってから読んだ。そして私が最後に読んだ吉本ばななでもある。私はこの『N・P』で吉本ばななを読みまくる生活を終わることにした。表紙が黒い。あの、表紙が黒いことしか覚えていない。本当に情けなく思うが、小説は思い出の一部にはなり得ないのだから仕方ない。

雑にまとめると、本当に吉本ばななの小説に出会えて良かったと思う。もし出会っていなかったらと考えるとかなり恐ろしい。いろいろ違ってくるのではないかと思う。例えば生活態度とか。

いつも忘れてしまうが、吉本ばなな氏が通った大学に今通っている。これは自慢にならぬ自慢だ。氏が青春を過ごしたと思われる場所で同じく青春を過ごせることを幸せに思う。だから、明日からも毎日、楽しくやっていきたい。

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