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活字中毒のはなし

日常的にTwitterのタイムラインばかり追う生活をしていたら、最近無性に「文章」が見たくなった。

何を変なことを言っているのかと思われるだろうが、私はいたって真面目に悩んでいた。

もちろんTwitterも文字で構成された文章には変わりはないのだけど。
140文字という限られた文字数では、いま私が渇望している「文章」には程遠いと感じていたからだ。

だからといって本を読む時間は今の私には無いので、替わりに久しぶりにこのNoteのアプリを開いてみると、誰かが書いた程よい長さの文章を読む事ができて、私の「文章」欲は解消された。

そういえば昔読んだ東野秀吾の短編の1つに、活字中毒が出てくる物語があった。
物語の主人公である小説家は、彼のファン層である活字中毒者の読者達を満足させる為に、毎度ぶ厚い本を出版していた。
そんな本が売れれば売れる程、内容よりも書籍のページ数の多さが期待されるようになるのだが。

もちろん毎回長文を書くほどネタに溢れていないので、どうしたものかと悩んでいた作者に、彼の編集者はある提案をする。
それは例えば300ページで終わる内容の本だとしたら、心情や状況、環境の説明(要は必要ない文章)などをくどい程文字に落とし込む事で無理やり文章を引き伸ばす方法だった。

結果何倍ものページ数にする事に成功した本が、活字中毒者達に喜ばれるという物語なのだが。
(内容うろ覚えなので違ってたらスマン)

読んだ当時は、なんて滑稽な話だろうと活字中毒者達を嘲笑っていたのだが。

今の私はその活字中毒と変わらないのかも知れない。
いや、実際に私は活字中毒なのだろう。

Noteに投稿された文章だって、大抵は140文字でまとめる事も可能なのに。
同じ内容の文章でもTwitterで読むよりも、Noteで読んだ方がしっくり来るのだから。

きっと私にとって程よい文章の長さは140文字では足りず、文章を心地よく感じる為に、より長く、長文で読むことができる場所はNoteだっただけだ。

うん、ただそれだけのはなし。

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