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人に評価されるとしても

水木しげる先生がゴジラの映画を観て、ゴジラになりたいと仰られたというようなエピソードをどこかで聞いた。
シン・ゴジラを観た時、自分も似たような事を思っていたから驚きだ、ゴジラ映画はある程度観てきたが、自分に重なるゴジラはシン・ゴジラだけだったなあ。
自分にはシン・ゴジラのゴジラほど悲しみを抱えているわけではないけど、あの震災があった時、多くの人が傷を負う中で自分の世界が何も変わらない事への違和感を感じていたし、同時に現実の大破壊を目の当たりにして映画のスペクタクルシーンを観るように心が躍ってしまった自分が居なかったかというと嘘になる。
庵野秀明監督作品で言うとQからのエヴァもそうだが、シン・ゴジラもそういう感覚の上に作られた作品ではないかと感じるのだ。
ここは-1.0には感じなかったな。
別に良し悪しの話ではない、僕がそういう意味で共感したのがシン・ゴジラだったというだけの話である。
そういう罪悪感も無力感も怒りも全て背負って暴れるから、あのゴジラには納得感がある。
それはそれとして、-1.0がアカデミー視覚効果賞を取ったのは、めでたい事として捉えたいが……今回のアカデミー周りで浮き彫りになったものを見ていると、みんな色々思う事はあると思う。

僕個人としてはアカデミーとか昔から気に食わなくて、大学生の頃に「アカデミーとかカスや!」とか言ってたらまあまあ周囲に怒られていて、その度「反省します、しました」って言っていたが……やっぱり僕、間違ってねえよなあ!?
とはいえ、僕がああいった権威ある賞レースを好まないのは完全に学生時代の劣等感の裏返しであるが、それは完璧に自分自身の歪みだと認める……認めた上で言いたいのは、結局僕は映画とか作品の評価の場を政治の場にするというのを冒涜的に感じているのだ。
これは映画が政治的である事への嫌悪感ではなく、むしろそういう政治に対するテーマ性は映画に必要だと思うし、そういう意味では人間はもっと映画に傷つかなきゃいけないとさえ言ってる。
僕が言いたい事は、政治だったり人間が形成している社会があって、その“上に”映画があるという上下関係の方が絶対に正しくて、だからこそ賞をもって讃えるはずが、映画を踏み台に政治や社会をするんじゃねーよ!って事だ。
ゴジラ映画で言えば、聖書をゴジラで塗り替えるキング・オブ・モンスターズはまさに僕の主張を可視化したような映画であり、人が長い歴史の中で築き上げてきた社会を踏み壊して映画の怪物であるゴジラが地球の王として君臨する……これこそが僕が正しいと思う価値観なのだ。
社会の歪みを作品として映し出す事で不平等を表面化させ、そこに作り手の主張が織り混ざる事でアナーキーな理想郷を鑑賞者の中に発生させる、それは共感として『綺麗』でも『怒り』でも『不快感』でも『ゴジラカッコいいね』でもなんでも良いが、芸術鑑賞は僕たちが理想を見失わない為の行為だ、政治や社会などという虚構よりも上位の概念ではないか。
人間が滅びた後の地球には「人は気まぐれであった」と刻まれた墓標が建てばそれでよいのだ。
それを何を偉そうに評価を下し、発表の場を政治主張の場にするのか。
その果てに「あの人達はコレにノーを掲げていたけど、他の人は何もなかった」みたいな風にアカデミーを見るのは果たして映画を評価する場に必要な事なのか。
『マリウポリの20日間』が長編ドキュメンタリー賞を取ったが、結局そういう枠に押し込めてしまうのはなんだか社会の強固さが持つ暴力を感じるし、ひとときの安心の共有の為に映画を利用するのは、映画そのものが持つメッセージを簡単に消費しているような気がする。

今回の授賞式で可視化された出席者による人種差別的な振る舞いは、結局アカデミーだって人間がやってる事でしかないと暴いてくれたような気がする。
本当の理想郷は映画の中にあって、僕たちは映画を鑑賞してそれを現実化できるように努力していけばよくて、人間ごときの下す一定の評価みたいなもので満足してはいかんのだ、アカデミー関係なく全ての映画は社会へのメタ視点であり問題提起であり作り手の主張であり人間の美しい営みであり集大成だ。
それなら地元の映画祭とか、観客投票で決まる映画祭みたいなものの方がよほど信頼できる、と、思う。

まぁ、あんまり歴史も知識も何もなく書き殴ったが、そもそもそんなに期待してない事もあり実際のところ僕は今回のアカデミーに怒りも何もなく、むしろ差別を解決することの難しさを改めて可視化する事になったという意味ではよかったんじゃないかと思う。

差別に関して言えば、僕は潔癖症で人が触れたものに触れるのが苦手なのだが、潔癖症の感覚と差別感情は何となく似ていると思っていて、なるべく克服していきたいと思っている。
ただ、人間は人間だし、他者に不快感を持つ事もあるのは仕方ないと思うから一筋縄ではいかないけれど、これはマナーの本質は他人に恥をかかせない事であるのと同じで、間違えている事を大々的に指摘するよりもあえて見逃したり、相手が友人なら多少自分の感覚を曲げても付き合うみたいな事をやっていかないとな、というところである。
差別は無くせないから、うまく付き合っていこうよ。
そんな人間の上にはゴジラが君臨してくれています。

最終的に何が言いたいのかと言うと、山崎貴監督、おめでとう。
これからも映画いっぱい撮ってね、健康には気をつけて。
みんな叩くけど僕はユアストーリーめっちゃ好きだよ。

これからの怪獣映画も楽しみだね、次のゴジラは誰が撮るかな。

……前回の投稿から、割と本音を書き殴るようになってしまったように思う、今回も若干きつい書き方もしちゃったなと反省してるんだけど、人と争いたいわけじゃなくて、何か世の中の難しい問題に対するモヤモヤしたものへの一つの見方として困ってる誰かが居たら何か感じてくれればいいと思うから(僕の書いてる事の合ってる間違ってるはあるかもしれないけど)、ちょっとは本音で話していこうかなと思ったりしただけです。
また気まぐれで記事消したりするかもだけどね。

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