エモとわかりみについてはもういい
相変わらず不用意で行儀の悪いインターネットをしています。
特に説明はいらんよな、って思うてたら予想より伸びてしまい。
そんなにみんなエモと分かりみで最速を競ってたのか。
例えば誰の事?みたいな話は本筋ではないのでしませんよ。 少なくともリプで来てた「さいとうさいとうさんあたり」ではないです。
ぼやぼやしてたら奥村鼓太郎さんがいろいろ読み解いてくださいました。
選歌の例とか用語とかちょっと好みと違うんだけど、個人的に感じていたことは大体ご説明いただいた感じです。
とはいえわたしは「感情消費社会へ警鐘を鳴らす」みたいな欲望もとくにないですし(やりたい人はやってください)「短歌(や文学)は本来かくあるべし」みたいな看板も持っていません(やりたい人がやってください)のでこの話は特にこれ以上広がりません。だから、この話はここでお終いなんだ。
別にエモと分かりみを追及して至高のエモ短歌を指向してもいいんですよ。技術とノウハウである程度どうにかなるんで。
ただ、そんな実用性第一みたいなところを大勢でやらなくてもいいのに、っていうのと、
「文学性」「本質」みたいなことを安易に言うてくる界隈の文学や本質は軒並みカビが生えていると思う。語彙を無くしたオタクの「尊い」と変わらんよ。
西成の案件からいろいろ調べてげんなりしていたんだけど、より「感傷的に受け取られるように書く」構文、みたいなライティングスキルは色々な方面で共有されているんだな、という気がします。やっぱりnoteが悪なのかな。
この辺のことをもう少しお行儀のいい原稿にして、鳥取に持っていきたいと思います。
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