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運用と手順(ではない)

時評書かなくなったらこういうトピックへの感度が全然下がってきて/それはお前の不精だから別にいいんだけど記録は残しとこうね、という件です。

Twitterでの蒼音さんのご発言。

浅野大輝さんの時評はこちら。
引用したのは最後のあたりです。

無報酬や非金銭報酬を主とした運用であること自体は問題ないし、そこに資本主義的ではない〈コモン〉としての可能性を見出すこともできよう。しかしこの場合、その運用を場/参加者の両方が自覚し、それが成り立つ仕組みづくりや継続的なケアを行うことが重要である。特に「ボランティア」などの言葉や非金銭報酬のもとに参加者のみが自覚を要求される状況は避けたい。個人の自覚/対応だけでなく、場としての自覚/対応もなければ、その場はおそらく持続可能ではない。
 〈歌壇〉という場を考えるとき、時にそれを支えているのが参加者個々人の自覚のみなのではないかという疑念が拭えない。その感覚がある程度正しいなら、そうした個々人の自覚のみに支えられる場は非常に危ういと言わざるを得ない。個々人の自覚の消失が、場に“endgame”を突きつける――そうなったとき対応できる力が〈歌壇〉に本当にあるか。内外問わず様々なコミュニティの取り組みを参考にしながら、場としての自覚と、場/参加者のケアを仕組みとして整備することが、今後さらに求められるのではないか。

私も含め皆さん「塔」という短歌結社にいるので、会則とか色々の前提は共有しているつもりです。以下やり取り。

取り急ぎ流れだけ。あとで研究の対談とか引けそうなら追記します。

わたしは今ちょうど、学生会員だった時期と一般会員の時期が同じくらいの長さで、さらに言うと、私が学生だった頃はそんなに学生会員自体多くなかったんだけど、結社の中の意識として「(会費の安い学生を)我々が養ってやっている」みたいな感覚が結構あったりするんだろうか。それをそのまま言われるのって、さすがに大人げないと思うのだけど。

学生会員の設定がそこまで運営の負担になっているなら、予め制度的に「学生会員に何らかの役割を課す」のも、方法としてはありだと思います。
でもそれは(もしやるとしても)あくまでルールとして運用すべき話で、「個々の会員の善意や良心」に頼るべき話ではないでしょうね。結果的にそうやって潰れてった善意や良心溢れる人、学生に限らずこれまでもいっぱいいましたよね。発端の時評だって、このままじゃやっていかれないからどうすんだよって話だと思うのだけど。


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