イルカショーの主役は誰?




友達が多い方ではない。


高校時代の友達とも、今は誰一人として連絡を取っていない。


しかし、だからといって楽しくないわけじゃない。


友達は少ないけど、その数少ない友達とは他と比べて濃密な仲にあるからだ。


広く浅い関係よりも、むしろこの方が好ましいと思っている。

その友好関係を大事にしていきたい。


そんな、僕の友達の中に、市川という1人の男がいる。


彼とは社会人時代の職場で出会った。


当時、僕が働いていたレストランでアルバイトをしていたのが市川だった。


アルバイトとは言いつつも、一年先に働いていたので仕事のことでは先輩だった。


初めは知らない仕事を市川から教えてもらうことも多かった。


市川と呼んでいるが、彼は僕の2つ年上である。


プライベートで遊ぶことが非常に多かったので気づいたらタメ口呼び捨てのダブルプレーを叩き出していた。


彼は、現在は普通に働いている。


東京の方に行ってしまったので、大阪の僕はなかなか会うことができなくなってしまった。



そんな市川という男だが、彼は僕が今まで出会ってきた人の中でダントツトップのイジられキャラだったと思う。


この市川という男がどんな人間なのか説明しよう。


まず、彼は顔面にものすごいインパクトがあった。


とにかく顔が濃い。


僕も初め見た時には、30代ぐらいのおっさんだと思った。


だが、当時彼はまだ20歳。


それぐらい哀愁漂う顔面爆弾を生まれながらに持っていたのだ。


このご時世、あまりストレートに言ってしまうのは良くないが、はっきりいって不細工。


余談だが、市川は昔親からも「あんた不細工ねえ」という出るはずもない言葉が飛んできたことがあるらしい。

その言葉にダメージを受けて、数日間不登校になったという訳のわからない理屈の引きこもりエピソードを持つ。


市川の顔面いじりはプライベートだけにとどまらない。


職場でも言葉の顔面バズーカは彼に休む間を与えないのだ。


彼が勤務時間に顔を出した瞬間、先輩達から


「おいお前整形してこいや」

「お前が出した料理誰が食べたいねん」

「そんなふざけた顔するんやったら帰ってくれ」

「口臭い」


といった雑なイジりをされるのが日常茶飯事だった。


そして、彼は出身が関東なので、その返しが標準語になる。


それが個人的にたまらなかった。


「いや誰がやねん!」

って返したら良いところを

「いや、誰がや!」

っていう下手な関西弁で突っ込もうとする。


いわゆるエセ関西弁。

いや、エセ関西弁にもなれていないゲキ下手関西弁ツッコミ。


その不器用さがツボだった。


そんな彼はいじられキャラでもありつつ、みんなからの愛されキャラの役割も担っていたのだ。




そんな市川とのエピソードの中でも、僕には今でも忘れられない思い出がある。




ある日、同じ職場の仲良しグループ6人くらいで1泊2日で旅行に行くことになった。


このグループで旅行に行くことは定期的にあった。


仲良しグループといっても、全員社歴、社員、アルバイト、年齢といった物が全てバラバラである。


でもプライベートではそんなことを気にせず楽しく遊んでいた。


この旅行の予約も毎回市川が取ってくれる。


そして、毎回格安で最高の宿を用意してくれるのだ。


何故かホテル予約のコストパフォーマンスだけは毎回ヒット、ましてやホームランを叩き出す。


そんな優しい市川だが、旅行中の扱いは極めて酷い。


旅行で常に一緒にいるため、彼へのいじりが四六時中続くのだ。


車で移動している時も、食事をしている時も、布団を敷いた後までも。


我々からしたら楽しい旅行だが、市川からしたらかなりの体力を削られる二日間だっただろうと思う。


1日目、色々な試練を乗り越えさせられた後、ようやく彼への安らぎの時間が与えられる。



そして迎える翌日



この日は旅行先の近くにあった水族館に行くこととなった。


車から降りて建物の中に入っていく。


水族館といえば、入り口の前に何かしらのオブジェが建っているものだ。


ペンギンだったり、魚だったりと、その水族館の場合はセイウチのオブジェが建っていた。


呑気そうな顔で「ようこそ」の4文字を腹に掲げている。


そのセイウチを見た瞬間、先輩達からの市川いじりは始まる。



「おい隼人!お前これとおもろいことやれー」


雑雑大喜利の始まりだ。


ちなみにこの「隼人」という名前は市川の本名ではない。


彼は「市川」という名前が「市原隼人」の「市原」に似ているというめちゃくちゃな理由だけで隼人と呼ばれていた。


市川の本当の名前は「友基」である。


僕も、初めはずっと市川隼人なのだと思っていた。


そして、そんな雑なフリに対応できるはずもなく無理矢理滑らされるのだった。


チケット代を払い、男6人で入った水族館。


こういった施設は男だけだと退屈なもんである。


多少女の子がいるだけで、かわいい魚を見ただけでワーキャー盛り上がることができるが、男6人だとそれも叶わない。


最後にイルカショーだけでも見て帰るか、というとりあえずの流れでショーが行われる会場へと足を運んだ。


会場は大きく3つに分かれた席の配置になっていた。


A.B.Cといった感じでそれぞれが約200席近くあると言ったら分かりやすいだろうか。


Aは左斜め視点

Bは真ん中

Cは右斜め視点

といった配置になっていた。


平日だというのもあったのだろうか、基本的にBの席に人が埋まって、A.Cはスッカスカだった。


そんな中、アナウンスが鳴り、いよいよイルカショーが始まる。


アシスタントのおねいさんが登場して、それらしいBGMが流れる。


楽しい楽しいショーの始まりだ。


しかし、我々はもう20歳を超えた大人達だ。


このような演出に対して、盛り上がりを見せられないのである。


素直にワクワクすることができない。


もう子供の頃の純粋さなんてとっくに失っている。


退屈なイルカショー


そんな無情な時間を打破しようと、1人の先輩が市川にある司令を出した。




「おい隼人、あそこにおる女の子3人組の隣座ってこい。」




我々から階段を挟んで2列ほど隣で、女の子達がショーを観覧していた。


その3人組の隣の席が、たった1つだけ空いていたのだ。


そのわずかな隙間を見つけて市川に座らせようと思ったのだ。


初めは軽く拒否する市川


それもそのはず、見知らぬ女の子の隣の席に座ることなどリスクが大きすぎる。


不振がられるのは無理もないだろう。


前述したが、彼はかなりの顔面インパクトを備える。


女の子からしたら拒絶反応が出るのも無理はないだろう。



しかし、人の良さはいつになっても出る。



気づいたら市川は、女の子3人組の方へ歩みを進めていた。


そして、その隣に何食わぬ顔でちょこんと座り始めたのだ。


引き続きイルカショーを鑑賞し始めた。



我々サイドから起きる爆笑の声。


あいつマジで行きやがった。


どんなメンタルしてんねん。


笑いが止まらなかった。


女の子達が並ぶ中で、その端に1人絶対に並ぶはずのない顔面が並んでいるのだから。


その絵面を見ているだけで、僕たちからしたらツボ中のツボでしかないのだ。


止まることを知らない笑い声


だがしかし、これで終わることはなかった。


先輩の指令は次第にエスカレートし始めたのだ。


先輩は市川と距離が空いてしまったため、彼に電話をかけ始めた。


すると、市川もすぐに電話に出る。


その電話から指令が言い渡される。


「おい隼人、A席に移動しろ。」


A席、そこは先ほども言ったが、誰も座っていないガラガラの空席だ。


その空間の中に、たった1人市川だけがド真ん中に座り始めた。


我々視点から見ても漂う違和感。


Bの席でもまだまだ空いているのに、見にくい視点からわざわざ鑑賞している人がいる。


これは、めちゃくちゃ席取りが下手か、マニアすぎて色んな視点から楽しみたい人のどちらかだろう。


そんな、市川だけが取り残されたような空間の中で、更なる指令が与えられる。




「おい隼人、腹筋しろ」




意味が分からない。


何故こんな人っ子1人もいないような場所で腹筋をしないといけないのか。


その指令を聞いた市川…





1人、腹筋を始めた。




1.2.1.2…


すごい真面目な表情で腹筋をしている男がいる。


イルカショーの観客席で腹筋をしている男がいる。


異様な光景だ。


イルカショーのアシスタントのおねいさん達も、もしかしたら舞台上から気になっていたかもしれない。


楽屋でその話になっていたかもしれない。



「なんか今日A席で1人腹筋している人いなかった?」

「見た見た私も、めちゃくちゃ気持ち悪かったよねー、絶対童貞だよー」 



そう、市川は童貞である。


いや、今はそんなことどうでもいい。


今は腹筋の話だ。


腹筋の話って何だ?


1人、黙々と腹筋を続ける市川。


どんなボディビルダーでも、イルカショーの時にまで筋トレをするようなイカれた奴はいなかっただろう。


もうこの時点で十分良くやったと褒めてあげてもいい。



しかし、これでは終わらなかった。


イルカショーは終盤に差し掛かっている。


イルカちゃん達がショー定番の大技、大ジャンプを繰り出し始めている。


客席から飛ぶ歓声。


えらく盛り上がっている。


そんな様子を見た先輩の口から、最後こんな指令が言い放たれた。





「おい隼人、あのイルカが大ジャンプしたと同時にお前も飛べ。」





もうめちゃくちゃだ。


いじりでもなんでもない。


イルカが飛ぶと同時に自分も飛ぶ?

考えられない。


我々はイルカショーに何をしに来たのか?


その指令を聞いただけで全員吹き出してしまった。



「おい隼人、分かったんやったら左手挙げろ!」



そもそもこの人は何でこんな偉そうなのか?


アンタ、やってもらってる側の人間やろ。


我々の席から、A席の真ん中で右手にスマホを持ち、左手を挙げる市川の様子が確認された。




イルカショーはクライマックス



最後のイルカちゃんが、この日最大のジャンプを決めてショーは閉幕する。


言わば、このショーのメインイベントだ。



イルカがタッチするためのボールが宙に吊らされ初める。


イルカもスタンバイを始めた。


そしてついに、アシスタントが合図を出す!


それと同時にイルカがものすごい勢いで泳ぎ始めた。


すごい、イルカってこんなにスピードが出るのか。


凄まじい速度だ。


やはり大トリに出てくるイルカなだけある。


速度はぐんぐん上がる!


速い、速いぞ!


ふとA席の方に目をやる。


すると市川も何かしらのスタンバイを始めていた。


遠目から見ても、足に力を入れ始めているのが伝わってくる。


イルカのジャンプのタイミングを真剣に見計らっているのだろう。


どこまでいってもお人好しな奴である。


いよいよ、イルカが大技を見せる。



泳いだ勢いのまま水面から激しく飛び出し、イルカがその日1の大ジャンプを決めた!




それと同時に、市川も客席からイルカの如く飛び跳ねていた。




謎の連携プレーが炸裂!



平日の昼間から、誰も座っていない席で1人大きくジャンプしたのだ。


皮肉にも、フォームはちゃんとイルカを意識したジャンプになっていた。


観客達は皆、イルカに夢中だったが、我々の中でイルカに目をやっている者は1人もいなかった。



そして、ついにイルカショーが終演を迎える。


舞台上から、アシスタントのおねいさんが客席に言い慣れたであろうお礼の言葉を送る。


その言葉の最後におねいさんは、


「今日の主役、イルカさん達に大きな拍手をお願いしまーす!」


そういった言葉とともにショーは閉幕を迎えた。


だが、我々サイドが賛辞を送ったのは舞台上ではなく、A席側だった。


「市川くんサイコーーーーー!」

「よくやったぞーーーー!」

「今日の主役はお前やーー!」


そんなエールとともに、こちらに戻ってくる市川の姿があった。


無理難題を突きつけられたのに、それを全てやり切って帰ってきた。


終演後、彼は普段吸わないタバコを口に咥え一服を取っていた。


本日のイルカショーの圧倒的部外者、市川。


このショーの主役は、我々からしたら間違いなくこの男だったに違いないだろう。












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