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第四章 三 時を繋ぐ

母たちは毎年やって来た。
九歳くらいになると夏休みが始まるとすぐに、一人で汽車とバスを乗り継いで来るようになり、仲のいい友達もできた。
下の家に住んでいた幸子ゆきこの孫で、祖母と仲良しの正代まさよの娘の千香ちかだ。
正代はお寺の階段の下にある大きな家の長男と結婚して、女の子ばかり富士子ふじこ、千香、雅美まさみと三人の子どもがいた。
千香は母よりひとつ年上で、面倒見がよく、母が来ると川や山、堰堤などいろんなところに遊びに連れて行った。
母は千香の子分みたいに後をついて回っていた。
夜は仏間で、藤松さんとぎんさんに挟(はさ)まれて寝ていた。
 
幸子は旦那を戦争で亡くした文子とその長男の俊一と三人で暮らしている。
どの家の煙突からも煙があがり、のどかな日々が続いていた。
藤松さんとぎんさんの孫は、僕が数年にわたり観察したところによると、綾子には女の子がふたり・道夫には女の子がひとりと男の子がふたり・忠子には女の子がふたりと男の子がひとり・芳江には女の子が三人・桂子には女の子がふたりと男の子がひとり・三男正志には女の子がふたりと男の子がひとり・養子に行った美咲には女の子がひとりと男の子がふたりいた。ここで問題です。
藤松さんとぎんさんの孫は何人でしょうか?
エート……「二十人!」すごい……笑ってしまう。
孫たちが来て泊まるには狭くなってしまった古野家は、ワラ小屋を改装して部屋をつくった。
新しく出来た部屋は、木で出来た一枚扉の引き戸で、開けると地面がそのまま向きだしになった土間があり、一段高く部屋がつくられただけの簡単なものだが、六畳くらいの広さがあった。
外から出入りするその部屋を離(はな)れと呼び、遊びに来た母たち家族が寝泊まりしていた。
母には妹と弟がいて、僕にしてみれば叔母(おば)と叔父(おじ)にあたるわけだ。
離れの部屋が出来ると同時に、電話が取り付けられ、洗濯機も設置された。
電話は箱型の磁石電話ではなく、卓上型で黒く平らなダルマのような形をしていた。
ダルマの頭の部分に受話器が置かれ、顔の部分には1から0までの数字が書いてあり、十個の穴の開いた透明の丸いダイヤルが数字の上にかぶされていた。
受話器を取り、耳にあててから、電話を掛ける先方の番号を順番に、穴の中に指を入れクルッと回し操作する。
洗濯機は、洗濯物と洗剤を水槽に入れ、洗濯物を洗った後、二本のローラーに洗濯物を挟みながら横のハンドルを回して、絞っていた。
これにはぎんさんは、大喜びだった。
里の暮らしも随分と変わってきた。
 

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