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【ネタバレ有り】『血の轍』を読んで、自分と両親について少し考えた。

noteで初めて記事を書いてみる。先ほど読み終わった『血の轍』が、じわっと心に染み込んできたからだ。

最初は「毒親サスペンス」的に、ヤバい母子とその周辺の人間たちを、エンタメとして楽しんでいた。
だが、段々と、エンタメとして「軽く」消費してしまうにはあまりにも重くズッシリとのしかかる感触がしてきた。

『血の轍』ほど歪んではいないが、僕にも親子関係について色々悩みがある。僕の両親は離婚しており、僕には母と7年ほど2人で暮らしていた時期がある。その間、父とは週末に会っていた。その後、母が再婚して引っ越すことになり、そのまま僕は母について行った。それからは、父と会う機会がかなり減った。割と遠いところに引っ越したので、物理的に距離ができてしまったのだ。ただ、僕の場合、本能的に、母の方が僕を守ってくれる、立派に育ててくれると判断したのかもしれない。だから正直言って、今もいい年してマザコンである自覚がある。母に依存する静一が、どこか他人事ではなく感じたのだ。昔、親戚との集まりで、誰かが僕に話を振ってくれた時、人見知りの僕はうまく話せなかった。その時、母が一緒に受け応えをしてくれた記憶がある。あの時の記憶が、静一と静子に少し重なった。

静一の父が亡くなった話で、僕は離れて暮らす父に思いを馳せた。半年ほど前に久々に会った時、白髪が少し増えていた。歯が痛むと言っていた。精神的にも、ちょっと参ってる様子だった。父は少し変わった人で、人付き合いがあまり得意ではない。もしかしたら、悩みを相談できる友人などがいないのかもしれない。可哀想で同情してしまった。両親が離婚した時、僕は母について行くと決めた。その時の父の気持ちはどんな感じだっただろう。

たまに母から、僕の性格が父に似ていると言われる。人格の形成は、環境に依る部分が大きいと思っていたが、遺伝的な影響もそれなりにあるのかもしれない。離れて暮らしていても、僕は父の影響を受けているのだ。
「血の轍」という字面を目にした時、自分の両親が通った道の跡を連想した。両親が歩んだ人生の道のりと全く同じではないが、近いところを僕も歩いているのかもしれない。親の親も、そのまた親にも、血縁で繋がっている道の痕跡、「血の轍」が存在するのだろう。

最近、父と連絡を取っていない。普段、僕から父に連絡することはほとんどない。母について行ったことへの後ろめたさなのか。それとも、自分から連絡を取ることが恥ずかしいのか。
この記事を書いた後、「歯の調子はどうですか」と、LINEを送った。

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