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女子サッカーへ8年越しのありがとう。#初めてのベレーザ

Twitterをきっかけにできた友人・五勝出くんの一声から「なでしこリーグを観に行こう!#初めてのベレーザ を付けてツイートして盛り上げよう!」という会に参加させてもらいます。

なでしこリーグは、スポーツ報知のサッカー記者時代に何試合も観てるけど、プライベートは初めてかも!すごく楽しみ!

そういえば女子サッカーについては個人的に小さな思い入れと感謝がある。ふとするとその気持ちを忘れてしまいそうなのでnoteに書いておこうと思います。

なでしこジャパンW杯初優勝と会社を辞める決断

2011年7月17日、この日付は今でもすぐに言える。サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」がW杯初優勝を果たした日であり、僕が新卒で入社した会社を辞める覚悟を決めた日。

日本サッカーの歴史の1ページと、ただのサラリーマンの転機を並べて語るなよ、とは自分でも思う。でも、なにかを記憶に定着させたい時は“自分ごと化"するのが効果的だという。あの日テレビを通して観た歓喜の景色は、退社の決断とセットで脳に刻まれている。かくして2011年7月17日は忘れられない日付なのだ。

なでしこジャパンを初めて意識して応援したのは2004年のアテネ五輪最終予選の時。厳密に言えば「なでしこジャパン」の愛称が決まる前だ。2大会ぶりの五輪出場に挑むチームは、やべっちFCやGET SPORTSなどテレビ朝日系列の番組を中心に、メディアにも数多く取り上げられていた。

そこで語られるのは、2000年のシドニー五輪出場を逃して訪れた女子サッカー“冬”の時代。五輪出場を逃した事実はダイレクトに女子サッカーの人気低迷を招き、相次ぐスポンサー企業撤退とチームの廃部。代表選手だろうと普段は働きながらサッカーを続ける環境の中で、悲壮感たっぷりに「2大会連続で五輪を逃すわけにはいかない」と選手たちは口を揃える。

いやいや待て待て、こんなん、男子代表よりも数百倍「絶対に負けられない戦い」やん。と、気づけば国立競技場に足を運んでいた。13年間勝てなかった強敵・北朝鮮を破ってアテネ行きを決めた試合は心から感動した。

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7年後のW杯、そんな挑戦の歴史を思いながら、選手がトロフィーを掲げる姿や、日の丸を背中に纏ってピッチを歩く澤穂希を見ていた。

テレビを眺める自分は新卒2年目。スポーツを伝える仕事に就きたいという夢は「就活」のシステムのもと諦め、大手企業で働いていた。 3ヶ月ほど前から、もう一度夢に挑戦すべく「会社を辞めよう」という気持ちにはなっていたが、それを伝えるタイミングを迷っていた。

しかし、そんな弱気をブン殴り、吹っ飛ばしてくれるほど、あの日のなでしこジャパンの姿と、逆境をはねのけ結果を掴んだストーリーは鮮烈だった。

やっぱりスポーツの世界で働きたい──。2011年7月17日は日曜日だったが、休日明けの朝、出社したその足で上司に退職を伝えた。

サッカー担当記者になる数ヶ月前の出来事でした。おしまい。

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Twitter | @Tmizzer_jp


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