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第6回講義概略

第6回なにものゼミにお越しくださりありがとうございました。
第6回は、毎日新聞記者としてご活躍の上東麻子さんを講師としてお招きし、「メディアと障害者」「境界」をテーマにお話し頂きました。

第6回講義を受講出来なかった方のために、講義概略を掲載します。

気づいて欲しいだけだった。見て見ぬふりをしない。

「本当は、出版社で働きたかったんです。たまたま新聞記者になっちゃったの。」と切り出した上東さん。
新人の頃、九州で警察周りを任され、他社とのスクープ合戦をしながら、事件現場を訪ねる毎日。血や怪我をしている人々やその家族を見るのが辛く、明日こそ新聞記者をやめようと辞めることばかりを考えていた。逃げるように結婚し、3人のお子さんを出産した。子育てが落ち着き、育休復帰し、世の中を見渡してみると信じられないくらい酷いことが多かった。そんな上東さんがまず向き合ったのは性暴力だった。
4,5年前、取材の中で、ぶつかった壁は性暴力自体が世の中のタブーだったこと。そして、「本当は女性の性的合意があったのでは?」「短いスカートを履いている方が悪い」
といった具合に、被害者側の方が悪いという風潮だった。
周りの関心も薄く、記事に載せてすらもらえないこともあった。
だが、辛抱強く取材させてもらえる被害者を探し続け、ある性暴力被害者に出会った。
彼女の手首にはリストカットの傷がいくつもある。「何故リストカットをしたの?」そう尋ねると、

「『どうしたの?』と周りの大人に気づいて欲しかっただけだった」

と彼女は言った。

「周りには見て見ぬふりをされて結局声をかけてもらえなかっただけど、ただ気づいて欲しかっただけなの」と。


ようやく被害者が声を発信できるようになった現代。向き合って気づいたことは、彼女たちはただ言い出せないだけだったということだった。


過去の歴史に目を瞑らない。障害者が家族を持つ「幸せ」が必ずある

 性暴力の取材に追われていたある日、起きたのが2016年の津久井やまゆり園事件。
身近なところに障害者はいなくても、これはひどいと思いその一心で取材を始めた。
津久井やまゆり園事件からまず、障害者の結婚や出産に焦点を当ててみると「旧優生保護法」に向き合う事になる。

旧優生保護法とは、1948年に、障害を持つ人が子供を作ると、遺伝するのではないかという誤った考えのもとに「不幸」な子供を生まれないようにしようと始まったものだった。被害者の多くが女性だった。また、障害者だけでなく、貧困に苦しむ人や不良たちなど社会にとって弱い存在が同意もなくこの手術を受けさせられていることがわかっている。


 加害者に直接取材出来ない事が立て続いたが、このままでは日本で起きた悲劇の歴史が消されてしまうのではと粘り強く取材を続けた。当時の医師や官僚に匿名で取材していると、あちこちで怒られた。「自分たちは法律に基づいてやっただけだ」とか「今更メディアは何故取材するのか?あの時、知的障害者に加担する報道を煽っていたじゃないか。」と
だが、上東さんは続ける「個人を責めるのではなく、どんな風は関わりがあったのか?大きな問題を一つずつ因数分解することで、加害の論理を明らかにしたかった」と述べた。そして、加害者に加担したメディアの襟を正したかったのだと。
 次に取材を進めたのは、手術を受けた被害者だった。
20年前、まだ誰も耳を傾けてくれなかった時代から声を発していた被害者女性の20cmくらいの痛々しい傷跡。障がい者ではなかったが、強制不妊手術を受けさせられた男性。彼は、結婚当初、子供が出来ないことを周りから咎められた。誰にもこのことを相談できなかった。40年間連れ添った妻にでさえ、死ぬ間際まで手術のことを告白出来なかった。取材を続けていく中で、この夫婦の幸せを一体何のために奪うのだろうかと幾度なく思うのだと強い口調で語った。
上東さんは知的障害を持つ夫婦が子育てする様子も記事にしている。彼らは、普通の家族そのものだ。子供のために一生懸命働く父親。もちろん良いことばかりではないが幸せに暮らしている。生活の支援をしてもらう必要はあるが、職員さんと彼らの関係を見ていると逆に職員さんが子育てを教わっている時もある。本当に障害者に子供は必要ないのか?彼らの生き方こそアンチテーゼになっているのではな
いか。小さなイエスを伝えたいと語った。

誰が相模原事件を産んだのか。

津久井やまゆり園の報道を見ていて、どのメディアも犯人の特異性や優生思想ばかりを強調しているのが気になったと述べた上東さん。
因数分解してみると、施設側は被害者なのか?本当に彼らは善なのか?という問いに直面した。
紐解いていけばいくほど、植松自身の問題はもちろん、20人25件もの身体拘束を行い、虐待の疑いさえあるやまゆり園の支援の問題。虐待を通報した職員を懲戒処分にすると脅した法人ガバナンスの問題。園の設置者として不適切な支援を見逃してきた神奈川県の問題。全国で障害者施設反対運動が起こっているがそもそも地域社会は安全なのかという地域社会自体の問題。これらが複雑に絡み合っているとわかった。優生思想という広い問題に向き合っていくことももちろん大切だが、それぞれの現場の問題を見て具体的に改善していく必要があるのではないか。そのオリジナルな視点を持ちたいと語ってくれた。


障害者報道を扱う理由と気付き

「可愛そう」な人のためではない。算数が出来なかったり、忘れ物が多かったり、方向音痴だったりする上東さん自身を排除しないでと思いがあるそう。また、そんな思いを抱える上東さんだからこそ線引きする側の立場ではない報道を目指している。時には、障害者が周りにいないくて何がわかる?と厳しい声をもらう時もある。だが、当事者以外の自分こそが関わらなければ意味がないのだとおっしゃった。
マイノリティを見つめると、社会の問題が凝縮されていると気づいた。
また、障害者報道に関わっているからこそ、多様性の魅力が詰まっているという気づきも教えてくださった。障害者の方だからこそ見える世界がある。目が見えない障害を持っている方は、何倍もの聴覚や触覚が優れている。感覚や伝達手段が異なることで、素晴らしい作品が作られていることがあるという事実がすごいなと思うと語って下さった。


記者としての苦悩と今生きるすべての人に言いたい事

上東さんは、押し付けにはならないように気をつけながら政策提言のつもりで記事を書いていると述べた。若者は読まなくても役所の人は読んでくれる。見ている人には届いている。自分の記事によって行政のあり方が変わることもあったり、法改正のロビイングの際に使用してもらえたりすることの喜びを教えて下さった。
だが反対に、そう簡単に障害者を始めとするマイノリティーを取り巻く環境は変わらないのも現実なのだ。旧優生保護法の裁判の結果は変わらない。差別や偏見はなかなか無くならない。自分の無力感を感じることもあるのだと記者としてのリアルを語って下さった。
この言葉を受け、講義の終盤にこんな質問が飛んだ。「行政関係者以外の人に対して、新聞にどう向き合って欲しいか」という問いだ。上東さんは強い口調で言った。一行を取ることに様々な人に取材し、事実と向き合い、そこにはものすごい労力があるのだ。どうかそのことをわかってほしいと。

なにものですか?

「マジョリティでありマイノリティ」
上東さん自身も抱えてきた生き辛さがある。健常者に分類されるかもしれないが、誰しもマイノリティを感じる瞬間はあるだろう。過去のトラウマや人間関係。そんな痛みの感覚とマイノリティ意識は繋がっている。世の中には聞くべき言葉や埋もれていく言葉がある、叫びがある。弱い人が弱い人を叩くのではなく、自分以上に生き辛さを抱えている人に気づいて欲しい。マイノリティーの問題はマジョリティーの問題。自分自身がマジョリティとマイノリティの境界を行ったり来たりすることで痛みや声が見えるようになったと語った。

次回はいよいよなにものゼミの最終回です。
ALS患者の岡部宏生氏をお迎えし、「ALS」「これから」についてお話し頂きます。
最終回のみのご参加も可能です。URLはこちらから
https://forms.gle/n8exgMovr54ghFK8A


今回のゲストとしてお迎えした上東麻子さんが出版された本は、絶賛発売中です。
「強制不妊 旧優生保護法を問う」(毎日新聞出版)と11月30日に新たに発売されたルポ『命の選別』 誰が弱者を切り捨てるのか?(文藝春秋)です!
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個人的にこれが最後のnote更新になります。
「私はなにもの?」
もちろん自分自身に問うている問いですが、同時に社会を見つめてみないと答えが出ません。
次回までなにものゼミの行方を暖かく見守ってください。

そして是非問いかけてみてください

「あなたはなにものなのか?」を

石垣

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